ネット集団自殺をくい止めるために僕たちができること

goldhead2004-10-13

http://www.sankei.co.jp/news/041012/sha026.htm
 まだ若く、いや若くなくとも未来ある人たちが、練炭によって自ら命を絶つ。こんなに悲しいことはありません。同じ社会に生きるものとして、なにか僕たちにできることはないのでしょうか? 喜びは皆で分かち合えば倍々になり、悲しみは皆で分かち合えば半々になっていくのです。
 僕が考えたのは、外からいくら呼びかけてもだめじゃないかということです。たとえ、ネット上の自殺サイトをいくら閉鎖させたところで、ネットには幾らでも別の場所があります。だから、自殺をくい止めようとする人たちが、進んで彼らのネットワークに入っていくべきなのです。しかし、そこでいくら命の尊さや人生の素晴らしさ、そして、同じ様な悩みを持つ人が頑張って生きていることを諭しても、聞く耳は持ってくれないでしょう。それならば、まず自殺志願者を装って彼らに接触することです。「そんなウソをついていいのか」と思われる人もいるでしょう。しかし、人の命を救うのに、ちっぽけなウソの一つ、何の問題があるでしょう。
 そして、同じ自殺志願者の目線に立って対話を続ければ、彼らの自殺をくい止められるかもしれません。しかし、具体的に集団自殺計画が進み、練炭が用意されることになるケースも考えられます。その場合、勇気を持ってその集まりに顔を出すのです。そして、ドアの内側に目張りをして、練炭に火を灯し、睡眠薬を飲もうという段階になって、はじめてこう切り出すのです。「やっぱり私死にたくない」と。
 そして、一人車から離れ(今から自殺しようという人間に、他人の行動を留めさせる元気などないでしょう)、こっそり様子をうかがいます。そして、じゅうぶん時間をおいた後は、もうこっちのものです。はじめから人目の付かないところでの事でしょうから、彼らのサイフや金歯を取ろうと、‘ある種の死体損壊’をしようと思うがままです。
 しかし、ふとここで思いました。自殺者がそんなに金品を持っているのか?彼らの職業を見ると、無職、無職、アルバイトといったありさまです。さらにいえば、人里離れた山奥から、どうやって歩いておりるんでしょうか?また、悪いケースを考えると、六人の大量強盜殺人として、死刑台の階段を登る可能性だってないわけではありません。
 このように、人が人の命を救うのは、実に難しいことなのです。そもそも、死ぬのがそんなに素晴らしいことなのでしょうか。もしも死ぬのが誰にでもよいことなのであれば、有史以来の人類は皆死んでいるはずです。ところがどうでしょう、今まで死ななかった人はいないではないですか。だからあなたも生き抜いて。