近藤唯之とは/文体について

http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb04101901.html

逸話は中日入団1年目の1980年にさかのぼる。稲尾和久投手コーチに「1点差の九回二死満塁、カウント2-3。お前なら何を投げる」と問われた。多くは「自分の得意な球です」と答える。だが、18歳のルーキーはきっぱり言ったという。「どういう課程を経て、その状況になったのか分からないので答えられません」。かつて「神様、仏様、稲尾様」と称された大投手に、だ。

 正直な告白を書く。私は本当はあまり近藤唯之のことを知らない。下手くそながら文体を真似、日記を書くようなことまでして、である。もちろん著作は何冊か読んだ。『背番号の消えた人生』『ダグアウトの指揮官たち』『プロ野球 オレの必殺ワザ』……。しかし、どの本に何が書いてあったなんか、全く覚えてない。これは驚くべきことじゃありませんか。しかし、ちゃーんと頭に刻みつけられたのが、‘近藤節’だったのである。
 「近藤唯之の書くものはワンパターンだ」と世間の人は言う。それは正論、正論、まったくもって大正論である。しかし、私はあえてこう言いたいのだ。「偉大なるワンパターンってものがあるんですよ」と。‘文体’は文字にすればたった二文字、口に出してもたった四文字だが、それが意味するもの天体の運行より大きいのだ。私は「文は人なり」という言葉は信じない。だが、「文体は人なり」という言葉があれば、それを信じるだろう。近藤唯之という男の武骨な生き樣が、‘近藤節’とまで言われるスタイルを生み出した。それが面白くないはずないじゃないですか。
 上に引用したのは、牛島和彦監督を紹介する神奈川新聞の記事である。私はこの記事を読み、腰を抜かすほど驚いた。これは紛れもない近藤節じゃないですか。しかし、書いたのは「石橋学」という名の記者である。この石橋記者、検索にかけてみると、ベイスターズを嘆く名物記者とのこと。そういえば、職場の神奈川新聞を読むたびに「大本営というのにベイに対して辛辣だなあ」と思ったものである。この男の「舍利になっても愛するベイスターズの記事を書く」という執念が伝わり、私はうなる思いをする。
 このように、近藤唯之の「必殺ワザ」は日本プロ野球に百年語り継がれるだろう。それにしても、私がネットでチェックする中国新聞も、カープを嘆いてばかりである。男の生き樣には、弱いチームを嘆くことも妙味なのか。