クマとハンター

 昨日だったか、クマにハンターが襲われて重傷というニュースを見た。俺は動物たちのささやかな復讐に、心の中で快哉を叫んだ。
 俺は遊びで動物を殺す人間には反感を持つ。これといった理論武装も何もない反感だ。反対運動もしなければ動物愛護も訴えない。「お前は人間よりクマが大切なのか」と問われれば「見ず知らずの人間より、見ず知らずのクマの方が好きだ」と答える。見ず知らずの人間が内臓ぶちまけて死んでも悲しくないが、見ず知らずのクマが遊びで撃ち殺されるのは悲しい。俺はそういう人間なのだから仕方がない。それに、ゲームとして、一方的に狩るだけではアンフェアじゃないかと思うのだ。狩るスリルに、狩られるスリル、それが狩りの魅力ではなくて?
 だからといって、全ての狩猟に反感を持つわけではない。言うまでもなく職業的な狩猟に反感はない。あるいは、保護されたシカが増えすぎて、森林が破壊されているような場合。そのままいけば結局シカまで滅ぶ。こういう場合は間引いて構わない。趣味的ハンターがそれに一役買っているのも知っている。
 しかし、だ。そういうケースも職業的なそれに移行していくべきだ。職業として狩猟をする人間は、食い扶持である森を守る。もちろん、クマやシカも守る。獲物が滅んでは生きていけない。それは、観念的な自然保護や動物愛護よりも強く、長続きする。もちろん、狩猟遊びなんかよりも。商売として成り立たないならば、公共事業としてやっても構わない。職業として、経済活動としてやることが肝要だ。ボランティアもハンターもアテにしてはいけない。
 これらは当然、現実的な問題は省いた空論だ。単に遊びでシカが殺されるのが嫌だから思いついた話だ。それにしても話が逸れた。動物はできるだけ銃弾から逃げろ。たまには人を殺せ。そう書くだけでもよかった。そして、俺はもうちょっとヒューマニストにならなければいけないような気もする。