ちゃぶ台ワイン

 私は今、ジュール・ルナールの『にんじん』を読みさしにしているのだけれど、その中にこんな話があった。主人公の少年「にんじん」はある朝、いつもの葡萄酒を「いらないよ」と言う。そして、それが習慣となる。「湯飲み」は、ただそれだけの話である。それの何が面白いのか、今は『にんじん』の話はしない。しかし、その話で周りの人たちは「自然の欲求を我慢なんかできないのに」と言い、医者は「奇妙な例」と言うのである。主人公の「にんじん」はまだ子どもなのだ。日本では朝食から子どもまで日本酒を飲む、なんて習慣は考えつかないし、常識になることもないだろう。
 しかし、スーパーに行けば三百円や四百円で安い白ワインが買える時代になったのだ。日曜の朝ならば、ちょっと遅い朝食にワインを添えてもかまうまい。別に西洋人を気取るわけではないけれど、いろいろなお酒とのつきあいがあってもいいはず。サンドイッチと一緒にちゃぶ台に乗せる、ちゃぶ台ワインだ。
 ということで私は、朝から酔いが回って真っ赤になり、内外タイムスを片手に日曜競馬実況中継を聞き、携帯電話で馬券を買って、いつの間にか寝てしまった。
 ……どう見ても社会不適応系じゃないですか。優雅なブランチどころか、因果なアル中である。新聞の勧誘も、あっという間に退散するわけだ。私が推測するに、その責任はナイタイにあると思うのだけれど、どうだろうか。