阪神淡路大震災から十年

 月日が経つのが早くなってきた、と書いたばかりだけれど、阪神淡路大震災から十年。これについては「十年も前の話か」とも「たった十年しか経っていないのか」とも思わない。多分、十年を十年くらいと認識しているのだろう。もっとも、「十年前」を実感できるのは最低でも二十年くらい生きなければならないのか、とも思う。
 さて、十年前の記憶を掘り返してみる。朝のニュースで、見た覚えはある。けれど、すぐに家を出て学校に行った。俺は鎌倉に住んでいて、逗子の学校へ通っていた。阪神も淡路もはるか彼方だ。学校へ行っても、地震の話題で持ちきり、という記憶はない。ただ、古文の授業中に学年主任だった先生が、職員室のテレビで見たという被災状況の話をした。ずいぶんな被害が出ているという。そして我々男子校のボンクラ男子学生一同は、口々にこう言ったのだ。「学校休みにならないんですか?」と。
 不謹慎と言われようがなんだろうが、そうだったのだから仕方ない。学生はいつでも学校が休みになることばかり考えている。そして、俺の阪神大震災に関わる思い出のほとんどは、たったこれだけなのだ。
 俺が被災したとき、もしも遠い空の向こうのボンクラが「学校休みにならねえかな」と思っても、俺はいっさい文句は言わない。世の中そういうものじゃなくて?