マルセル・デュシャンと20世紀美術(横浜美術館)

http://www.yma.city.yokohama.jp/kikaku/duchamp/
 「芸術の長い歴史の中で、既製品の小便器にサインを入れて作品だと言い張ったのは、この時のデュシャンただ一人である」(民明書房刊『カンバスに消えた人生―芸術家の人生論―』近藤唯之・著)より。
 ということで、横浜美術館デュシャン展に行ってきた。土曜日の昼頃である。人はあまり多くなかった。入場料は千二百円である。
 まず、会場の入口に何かの用紙と鉛筆が置かれている。それは上記サイトの説明(http://www.yma.city.yokohama.jp/kikaku/duchamp/checksheet_program.html)にもある「チェックシートプログラム」なるもの。例えば、入ってすぐに有名な便器『泉』があり、その横に後世の芸術家が作った金ぴかの便器が並んでいる。それについて「ふむふむ、『オリジナリティの項目』はデュシャンが上だが、『エロス度』の項目についは、スケベ椅子っぽさの高い後者だな」とか言いながらチャートを作り、回答していくわけである。では、私はそのシートを利用したか。もちろんしないに決まってる。そんなのゴメンだ。冗談じゃない。自意識過剰病ということは承知だが、こんなのに答えようと思うと、「ちょっと時間をくれ」と、不必要に身構え、考え、結局書けないに決まってる。俺は日記だの匿名アンケートサイトだのには、ほとんど喋るのと同じ早さで言葉を書けるけれど、こういうのはダメだ。俺は美学美術史学の学生じゃないんだ。
 というわけで、俺は手ぶらで観賞。それに、あまりシートを持ってる人はいなかった。こういう企画は企画でありなんだろうけど、俺はどうもキュレーターが頑張ってるって伝わってくる美術展は嫌いだ。主役は作品だ。で、作品はどうだったか。「モロ見えのつるマンが見えた」の一言に集約できよう。すなわち、デュシャンの遺作である、えーと、作品なんて覚えていないや、要するにパイパン丸見えなのだ。パイパンという隠語がどこまで通用するのか知らないので、もっと分かりやすく書くと「女性の無毛の陰部」である。いやはや。この作品、うっかり見過ごしそうな小部屋にあって、壁に備え付けられたレンズから中を覗く。すると、片手にランプを持った女性が寝転んでいて股はぱっくりのマンコ丸見えという趣向である。後ろから壁に窓の模様が照射されており、自らの影がはっきり壁に映る。「この作品を見ている姿を人に見られたくない」と思わせる芸術ナンバーワンであろう。
 しかし、これまたモザイクどころか年齢制限もない。今日日いかがわしいアダルトサイトだって何度も「18歳以上ですか?」と言ってくるのに、これはどういうことだろう。これは「芸術の表現は自由であるべきだ」とか「芸術の名がつけば何をしてもいいのか」とかいう主張でもなければ「芸術性とは何か」でもない、単純な役所的書類的法的判断への単純な疑問だ。まあ、このインターネット全盛時代に、こういうのにキャーキャー騒ぐのもバカバカしいか。それに、美術通などには「何を野暮な事を言ってるんだね?」とか言われそうだ。けどさ、こういうのに騒ぐのは、健全な男子なんだから仕方ねーじゃん。だいたい俺は浜劇だの光音座のある、桜木町のあっち側の人間なんだ。
 ……無駄に文字数を費やした。しかし、他に感想というとちょっと困る。「デュシャン=便器」という、ベンキマンも真っ青の発想しかなかった私だが、確かにオブジェのいくつかには愛すべきセンスを見たのは確かだ。ただ、ちょっとボリューム不足。後世の作品にしても、何やら賢い美大生が考えたようなもので、見ていてどうという感想も無かった。だいたい、デュシャンの大作『大ガラス』に対して、巨大なカラスのフィギュア(「大鴉」という洒落)が置いてあったりしたけれど、こんな笑うに笑えないものどうしろというのだ。「ジュウシマツ和尚」の方が何もかも遥かに上だ。ほんとに。
 それとあれだ、俺はフランス語がわからないし、英語もエロサイト以外はきつい。となると、この手の作中に用いられている言葉がわからない。「芸術家が伝えたかったのは作品全体そのものであり、言葉は一要素にすぎない」という考えもあろうが、わざわざ文字で書いた以上、意味にだって意味があるはずだ。そりゃまあ、翻訳不可能な言葉遊びもあろうが、柳瀬尚紀みたいに頑張ってみてはどうなのか。これは今回ばかりに限った話ではないけれど。
 なんかマンコと文句ばかりの話になってしまった。しかしまあ、俺がこの手の「頭でっかちの芸術」がいまいち好きじゃないのは今に始まったことじゃない。この展覧会でも他に印象に残ったものと言えば、デュシャンをモチーフにした横尾忠則の油絵くらいだ。ここらあたりは好みの問題に過ぎないんだけど。そういえば、おみやげに一個面白いのがあって、便器の「R.MATT」のサインをシールにしたやつがあって、便器などにお貼り下さいとか書いてあんの。折角だから買った。
 デュシャン展の後、足早にコレクション展(現代のガラス作品は面白かったな。触ってみたい、割れるかもしれないという恐怖とセットで)を見て出口に向かうと、ちょうど生演奏コンサートが始まったところだった。それを聴きながら、エントランスにバーッと並んでいる過去の企画展のポスターと画集などを見ることに。年代別に並んでいて、「○○展 入場者数××人 歴代一位」とか書いてある。やはりルーブル美術館ゴッホセザンヌが人気の模様。しかし、よく見ると成績上位者ばかりでなく、全員の成績が貼り出されているのだ。人気の差は歴然である。こんなことするから「現代美術」君がますます自分の殻に閉じこもって、成績だって上がらないのだ。その責任の一端は、彼らの師であるデュシャン先生にもあるんじゃないのか、などと思ってしまった。いや、現代アートは面白いです。いや、俺みたいな無知無学の輩にも面白いものもあるんです。俺はそれを知っているから、もしも「現代美術」という名前だけで避けている人がいたら、そのことを知ってほしいと思うのです。