やはり俺はなかなか帰りたくない

 昨夜は一切の騒音はなかった。騒音どころか、俺が十分許せるくらいの音まで聞こえなかった。果たして大家さんによる厳重な注意が奏功したのだろうか。たまたま昨日帰宅していなかった、という可能性もあるが。
 しかしやはり、引っ越ししたらすぐに挨拶に訪れて、相手の人相ぐらい把握すべきだったのだ。俺は集合住宅も一人暮らしも初めてだった。先に東京で一人暮らしをはじめた弟の話を聞くに「引っ越しの挨拶しても怪しまれるだけだった」などと言うので(ある種の勧誘がそういう手口を使うらしい)、最初の挨拶を欠いたのだ。もちろん、全く挨拶をするつもりが無かったわけではなく、「毎日暮らしていれば明日にでも偶然顔を合わせる機会もあるだろう」と思っていたのだ。その時に「今度引っ越してきました……」とやるつもりだった。これは本当、ちゃんと文言まで想定していたのだから。
 ところが、だ。驚くべきことに、全然顔を合わせないもんなんだね、この単身者用アパート暮らしというやつは。これは完全に俺のミスだし、逆に両隣には不安に思われたかもしれず、その点は詫びたい。ただ、一人暮らしの場合、最近ではあまり引っ越しの挨拶をしないなんて話も見かけたし、どうなんだろね、ここらへん。立地とかによってずいぶん違ってきそうではあるけれど。まあそんなわけで、両隣とも近所づきあいをすることもなく一年が過ぎたわけだ。
 しかし、騒音とは逆方向の隣人については二度ほど見かける機会があった。一度目は警察官が彼の部屋を訪れ、ドアを開けて入口で話しているところだった。警察官の方が「ありがとうございました」と言って去ったので、何かの証言でもしたのだろう。立ち止まって見るわけにもいかず、隣人の姿はよくわからなかった。二度目は今年のこと。出社しようとすると、手ぶらで作業服にヘルメット姿の男性が外階段を上がってきた。その人が、隣の部屋に入っていったのだ。このとき、お互い軽く会釈しただけで、会話はなかった。
 と、ここで一つのことに思い当たる。それは「右隣は空室ではないか」ということだ。昨日の電話にしても、こちらが「多分○○号室」「階段の反対の方」などと自信なさげに告げたのに対し、ちゃんとした確認もなく話が進んでいった。もしも逆だったらえらい間違いなのに。しかし、俺があの時すれ違ったのは、内装工事の人だった。そう考えると辻褄が合う。何かこう、帰宅する人にしては変だな、と思ったのも確かなのだ、鍵も使ってなかったし。そういや最近、ドアの郵便受けにはチラシが刺さりっぱなしだし、それに、右隣の外に洗濯物を見ていないような気もしてきたぞ。うーん。
 隣人が居なくなればすぐわかるのでは?という人も多いかもしれないが、えぐい騒音を出すのは逆の隣くらいで、本当に本当に静かな環境。なおかつ「九龍城みたい」と言われたほど複雑な構造のアパートで、たまに聞こえるドアの開け閉めや話し声もどこから聞こえる音かわからない。それに何より「入居している」という最大の証拠が今なおあるからだ。それは外廊下の洗濯機。普通、引っ越したら持ってくか廃棄するかするじゃん。元入居者が放置しても、大家がやるはず。そんで、洗濯機が無い部屋は空き室だとすぐにわかるもの。うーん、しかし、本当に居なくなったのかなぁ?……そうだ、郵便受けを見てみよう。空き室ならば、チラシ投函を防ぐために管理人がガムテープで口を塞ぐのだ。よし、帰ったら確認してみるか。
 ……ああ、帰らなきゃ。仕事もキリがいいし、俺一人しか残ってないし。右上の変なマークとか作って時間潰してもここまでだ。いやはや、なんだかもう、孤独と閉塞感にさいなまれる現代人ですね、私は。