ちびくろさんぼの復権

http://www.yomiuri.co.jp/culture/news/20050303i501.htm

ロングセラー絵本として親しまれながら、人種差別的との批判を受け、絶版になったままだった岩波書店版「ちびくろ・さんぼ」が別の出版社から来月復刊されることが2日分かった。

 自分は七十年代の最後の年に生まれたので、「ちびくろ・さんぼ」を普通に絵本として読んだ世代である。そして、その愛すべき虎とバターの絵本が「人種差別」とされ、びっくりすることになった世代であった。「さんぼ」規制の馬鹿馬鹿しい面については、世の中の多くの良識ある人々が論を重ねているだろうから、僕はあえて書くことは少ないかもしれない。しかしやはり、僕は「ちびくろさんぼ」の問題について大きな影響を受けたのだ。
 その影響とは、欺瞞のにおいを嗅ぎ取ろうとする感覚だ。「人種差別」はいけないことだ。しかし、それを声高に叫べば、一つの何の問題もなさそうな絵本が壓殺されてしまう。子ども心に、その不自然さ、不条理さを実感したのだ。そう、頭で考えた訳じゃない。僕は感じたのだ、そのいびつさを。そして、その時の感覚が、その後も生き続けている。リトマス試験紙のように働き続けているのだ。
 自由、平等、平和、人権、愛国心、安全、自然、環境……、どれもこれも大切なものだ。まず、最初にそれを認めなければならない。それを忘れた空虚なアンチテーゼを見ることがあるけれど、それに陥らないような注意が必要だ。しかし、その一方で、それら反論しにくいものを掲げ、それを声高に叫ぶ者たちには注意しなければならない。ときに、そこには「さんぼ」を殺そうとする意志がある。僕はそういう者たちに注意したい。それを「さんぼ」の問題から受け取ったのだ。
 しかし僕は、本来、絵本から受け取るべきはそんな問題じゃないと思う。受け取るべきはサンボ少年の機転であり、虎がバターになるという自由に飛躍する発想なのだ。今回の復刊を機に、『ちびくろさんぼ』がただの絵本になれますように。

 追記:上の記事にも出てきているが、原作者のヘレン・バンナーマン自身の絵を用いた『ちびくろさんぼのおはなし』(ASIN:4770501730)はすでに出回っている。これは、父親が発刊と同時に買ってきたので目を通したことがあるのだけれど、これはこれで魅力的な本であった。内容云々より、その絵に目を奪われた。なんというか、ソフィスティケートされていない、というか、有り体に申せば、「へたくそ」なのだ。もともとプロの画家でも絵本作家でもない原作者が描いたわけだから当然なのだけれど。思わずゲラゲラ笑いながら「黒人がこれ見たら怒るぜ!」などと冗談で言ったものである。もちろん、その絵を見て真面目に「作者の人種蔑視のあらわれだ。ゆえに元から差別的な意識のもとに書かれた本である」と言う人が居たならば、僕はその人をその点においてのみ軽蔑することをいとわない。