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http://mytown.asahi.com/kanagawa/news01.asp?c=3&kiji=4025

戦後の国政選挙で候補者がすべて女性なのは県内では初めて。ともに2児の母である3人は少子化対策子育て支援を強調する。

 こんな事を言いますと不謹慎との謗りは免れないかもしれないが、9.11の選挙の後にもう一回と言われても、神奈川県民としてなかなか興味がそそられないの致し方ないのではないか。とはいえ、候補者の顔ぶれぐらいは見てみよう。おお、なんとみな女性でみな二児の母。これは立派な話で、二人の人間が結婚して一人の子供を生産していったら、人口は半分になる。折り紙を何回折り畳んだら月に届くのかは知らないけれど、すぐさま、日本から人がいなくなる。二つから二つを生じさせて初めて元が取れる。元を取った人間でなければ、少子化対策などといっても説得力がない。
 しかし、しかしですよ、少子化の何が悪い、と、こう無知蒙昧の私などは思ってしまう。今、与党も野党もほとんどの政党が言ってるのが、役所のスリム化。すなわち、公務員を削減せよと言う。民間企業がそれに先駆けてやって来たのが、リストラという名の首切り。これすなわち、人間が余ってる。これ以上人間に食わせる飯なく、着せる服なく、住むところなしに、これ以上人間を生産してどうするというのか。だいたい、私が子供のころは、少子化などという問題は一切伝えられず、ただひたすら日本の人口過密と環境汚染について教えられてきた。人は減った方がいい。私は言うまでもなく餘りものの腐ったやつだが、この三つ子の魂は消えがたいものだ。
 しかし、余剰人間、無駄な在庫であっても、キャベツの生産調整のようにブルドーザーで潰すわけにもいかない(私もそんな死に方はしたくない)。そこらへんの苗木の圃場に押し入って幾らか伐採したところで、減るのは伐採量プラス一本程度で効果もない。かといって寄生獣の種が降ってくるのを待っていても待ちぼうけにすぎないだろうし、貧乏人に貧乏人の肉を食わせたら余計な生産を始めるかもしれない(‘人肉’は精がつくと言いますからね)。河童の子でもあるまい腹の中の胎児に「母親の心がわかっておそろしいだろう」と墮胎を持ちかけても蹴られるのがオチ。
 ではいかにして、シーツのシミにならずママの割れ目の残りカスになるものを減らそうか。それはもう、生産工場自体をラッダイトするしかない。あらゆる男は種なしに、あらゆる女は石女に。全ての精子は競争を放棄し、全ての卵子は受精を拒む。ことごとく不能の男と冷感症の女。男は本能で種まきの不毛を知り、女は本能で子を授かるに適さぬ世界だと悟る。このような環境作りこそが政治に求められるのではありますまいか?
 とはいえ、世人も政治家も口に出さずとも、そのような流れは出来つつあるようにも思えてならん。おお、人のわざの不可思議なるを降鑒されたる神霊も御照覧あれ! 御笑覧あれ!