『横浜トリエンナーレ2005』

 篠原有司男展(id:goldhead:20051103#p1)の余勢を駆って、というわけではないが、中一日で行った。先週の土曜日、11月5日のことである。
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 入場料千八百円。繰り返して言うが千八百円。トリエンナーレに関わる主催者やキュレーター、ボランティア、彼らにとって鼻紙程度の金額に過ぎないのだろうが、俺にとっては百万両の千八百円。出展するアーティストにとっては絵筆を拭いて捨てるほどの金額に違いないだろうが、俺にとっては血を吐くような千八百円。少なくとも、篠原有司男展の二倍楽しませてもらわなければ納得できない。俺の千八百円が無駄になろうものなら、お前らそこに一列に居並べ、片っ端から素っ首叩き落としてやるという意気込みである。俺は「必殺関羽」の幟を立てて、己の棺桶を引きずるような気持ちで(本当にやったら関帝廟がまつられている土地柄なので、別の意味で棺桶が必要になりそうですが)山下公園に向かった。のっけからハードルは高かった。
 結果から言おう。千八百円は高すぎた。無駄になったとは言わないが、高すぎた。アパートから徒歩の距離にあって、交通費がかからないのがせめてもの救いであった。貧乏人は現代芸術に近寄るべからず、高卒の無知蒙昧はアートに接するべからず。それまでの話と言えばそれまでの話だ。しかし、俺は血を吐くような思いで千八百円払ったので、いくらか文句を書く。そのくらいは許せ。
 完成度が低いと思った。千八百円ゼニを取ってやる興行とは思えなかった。ちょっと大規模の文化祭である。文化祭ならいい、いいのだ。しかし、千八百円取る以上は、もっとしっかりしろと思った。それがとにもかくにも全体の印象だ。ろくでもないまとまりの無さ、それは、多種多様の楽しみとはぜんぜん別物だぜ。そして、攻撃性もなければ毒々しい刺激のかけらも見あたらない。そればかりが芸術ではないだろうけれど、これだけ集めてみて、みんな実に品行方正。これも先生の顔色を窺いつつも、ふざけられるところまでやってみますよ、という学園祭・文化祭程度のものだ。まったく。磯崎新が降りたとか、そういうあたりの内輪のいざこざとかは勘案してやらんよ。
 そして、スタッフ。スタッフはボランティアかどうか知らない。しかし、市民プールの監視員のようにうるさい。そこかしこで注意注意の嵐だ。だったらはじめから注意表示、案内表示を充実させておけばいい。展示を害する? それこそデザインで解決しろよ。腕の見せどころだろうよ。いちいちの注意は、他のお客さんに対するものでも実に不愉快で感じが悪い。その割に外国人客にはやけに寛大で、デジカメでバシバシ撮影の御法度も見逃されたりする。
 稚拙な展示もあった。特にひどいのが何やらエアドームを使った展示で、何かと中にはいるとモニタとイヤホン。手元には本。モニタに映し出されるのは、フランス語による何かの屋外展示のドキュメンタリに英語の字幕。これが何かと思い本を見ればオールイングリッシュ。どこにも日本語の手がかりがない。ドームの外にこう貼り紙をしておけ。「英語を理解できない低学歴者立ち入り無用」あるいは「黄色い猿の言語とりあつかわず」と。内容抜きで展示自体がどうだったってものじゃ決して無かったぜ、絶対。そうじゃなければ「現代アート素養無きもの閲覧禁止」か。スペースの無駄だ。
 「運動態としての展覧会」(ワーク・イン・プログレス)とはこりゃまた結構で高邁なお題だ。しかし、ワークショップの残りカスや、ガキのお絵かきやこの手の現代芸術にありがちな謎の七夕短冊現象を見せられても、もうどうかという感じだ。参加型大いに結構だが、それ以外の部分に確固としたものが少なすぎた。例えば、ギューちゃんのモーターサイクルみたいな、存在感のある展示。今すぐ鎌倉から持ってこい、って感じだ。
 そうだ、何か「これ」というものが無かった。説得力と破壊力のある「これ」が。俺は別にアーティストの知名度にこだわりなどないけれど、「これ」を持つビッグネームの参加が無いのは寂しい。たとえば、お土産物コーナーでやたら草間彌生グッズが売られていたが、なぜ草間の作品が無いのだ。いや、別にビッグネームじゃなくてもいいんだ。ただ、「この作品見られただけで満足」というインパクトがない。
 ひょっとして、一番知名度があったのは奈良美智か。奈良美智。俺が生理的な嫌悪感までに引き上げられてしまった奈良美智に関しての感想、すなわち罵詈雜言を並べると、俺自身ですらドン引きするところがあるので、ここでは避ける。
 とはいえ、面白い展示もあった。アジアの人の映像作品(マップに名前が見あたらない)。そして、高嶺格という人の『鹿児島エスペラント』という大がかりなインスタレーション。囲われた空間の中の作品で、外から中の様子は知れない。まわりに大行列ができていて、内容の手がかりも全くないままに並んだ。もう帰ろう腹が減ったし帰ろうかという中で(その目の前にあるブランコにも乗ってみたけど)、最後の作品である。かなり高まっていたハードルが、かなりの待ち時間で更なる高まり具合だ。しかし、それを覆すくらい、妙で、素敵なものだった。機械制御の照明の動きと小技の巧みさ。時折のフラッシュ。移り変わる文字のイメージ。そして、死者の世界を思わせる砂浜の舞台。バックに流れるあの音楽。これだけ変なのは初めて見たような気がする。これは収穫だった。本当にありがとうエスペラント。本当に、救われたよ。
 そうだな、俺のおすすめトリエンナーレ巡りとなると、さっとエスペラントまで行って、その後はふ頭の先っぽの休憩場でぼけーっと海見て、もう一回エスペラント見て、帰る。これ。そうだ、立地はすごくいい。というか、普通に隣の倉庫とかが気になったりしてさ。
 ……というわけで、何やら読む人が(誰も読まないような日記なのであまり気にすることもないが)胸くその悪くなるような感想となった。が、貧乏・浅学・底意地悪の俺が、千八百円ハードルを前提に見るとこうなるという話だ。横浜トリエンナーレに悪いところなんてなかったよ、きっとそうだよ、みんな大満足だ。