『密教の本 驚くべき秘儀・修法の世界』

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 さて、俺は空海に関する本を数冊読んだが、いずれも空海その人とその思想に焦点を当てたものだったので、いまだに密教真言宗についての概観を得られたような気がしていないのだ。そこで、古本屋にて見つけて手に取ったのがこの本。少しおどろおどろしい装幀だけれど、中を覗けば図版や用語集が多く取り入れられていて、俺の望みには打ってつけだと思ったものだ。
 とはいえ、少し気をつけなければいけないかと思ったのは、そのままになっていたアンケートハガキの宛先に「ムー編集部」の文字が見えたからだ。とはいえ、俺とていくらかは本を読んできたのだから、トンデモな記述があればそれと気づくさ。それに、「ムー」の怪しさが密教の雰囲気と無縁では無いように思えるしね。何も虚飾しなくとも、密教はあやしいものという印象があるのからな。で、結果から言えば、それほどのあやしげな記述はなかったし、あやしからんという部分はそれとハッキリわかるようになっていて、流石に学研の本だけあって、学習の役に立ったということだ。そこで、いくつか気になったところをメモしておこう。

役小角
 空飛ぶ仙人とおぼろげに思っていた役小角だが、きちんとした出自の人物だったのだな。葛城地方の名族である賀茂一族の出だという話だ。そして、幼いころより才を現し、8歳で奈良の官学に入校したというから驚きだ。しかし、やがて聡明の小角少年は13歳にして学問の限界を感じ、ある日山中に身を投じてしまうのだな。シャーマンの血脈というし、ここらあたりは空海の略歴を思い起こさずにはいられないな。そして、山中修行で小角が得たのは『孔雀明王教法』。この秘法を伝えたのは、飛鳥は元興寺の高僧・慧灌。朝鮮から来た僧だという。つまりこれは、空海以前に入ってきていた体系化されていない密教のかけら、雑密などと呼ばれるものだな。とはいえ、鎌倉あたりにも空海以前の開基なる寺院などもあるから、山岳信仰や土着の呪術と混じり合いながらも、宗教団体としての側面が無かったわけではないのだ。
◆天海◆
 南光坊天海といえば、徳川三代に使えた謎の僧として伝奇物や漫画などのフィクションにたびたび取り上げられる人物だ。その正体は明智光秀、なんて言われたりもする。しかし、そうされるのも理由ある人物であり、なおかつ彼は天台密教僧なのだったと知ったよ。  まず、なぜ謎の人物かといえば、記録がないのだという。これはなにやら当たり前のトートロジーのようだが、奈良時代役小角でもあるまいし、数多くの記録が執拗に残された江戸時代にあって、信用できる記録がないのは驚くべきことなのだ。しかも、天海は市井の怪僧などではなく、朝廷から大師号を下賜された日本史上に二十三人しかいない高僧の一人なのだな(最初は‘伝教法師’最澄、‘弘法大師空海、そして天海は‘慈眼大師’)。生年についてだけでも12の説があるという。この本が一応の生没年としている(没年ははっきりしている)のが1536〜1643年で、広辞苑なんかもこの説を採っているのだけれど、これで行くと107年生きたことになる。この時代の人間が107年生きるのは絶対に無理、とは言い切ることはできないけどね。で、なぜこうなったかと言えば、天海自身が俗人としての出自を隠したというのだな。そして、その理由は「山王一実神道」の秘法を守るがゆえ、なんて憶測も成り立つということだよ。  して、「山王一実神道」(日枝神道)とは何かといえば、神仏習合思想の一つだな。これがもう、天海しか知らない、みたいなものという(山王神道自体は天台宗に伝わっていて、そのアレンジという)。徳川家康が死んだ後、どう祀るかという話になった。そこで、臨済宗の僧・金地院崇伝は「唯一神道で祀るべきだ」と主張したという(なぜ禅宗臨済宗唯一神道を推したのか?→http://www.geocities.jp/senryusai/suden.html‘黒衣の宰相’か。僧というよりは政治家だったのだな)が、それに対し天海が山王一実神道を唱えた。そして、「豊国大明神がどうなったか」というのが決め手になって、家康は権現になったという話だよ(豊国大明神豊臣秀吉)。  ひょっとしたら、天海の名は糸井重里の「徳川埋蔵金」シリーズでも出てきただろうか。子ども心に、古地図を線で結び、古書を紐解き、童歌の謎を解き、宝探しをするあのロマンにはしびれたな。まあ、そういう感じで、やはり天海は江戸を密教の奥義で呪的に防御したという。ここらあたり、一見オカルトじみているが、平城京平安京の昔からやってきたことであり、当時で言えば当たり前のことだったと言えるだろうな。天海に言わせれば、その効果あって十五代二百六十五年も江戸幕府が続いたんだぜ、って言うかもしれないけれどね。まあ、この天海の山王一実神道も、明治維新前後の神仏分離廃仏毀釈で攻撃されるところになったのだな。やがては。
◆公害企業主呪殺祈祷僧団◆
 ……この文字とともに「呪殺」と染め抜いた幟を掲げて歩く僧の写真が載っていて驚いたよ。公害が社会大問題になっていたときのものらしい。正直、これがどれほどのものだったのかわからないが、やっていたのは真言宗東寺派の伝灯阿闍梨・松下隆洪という高僧だというのだから、まあ、大変なものだ。なるほど、真言宗は加持・祈祷の現世利益色の強い宗派で、たしかにはるか昔はこういう側面もあったのだろうな。しかし、これはむしろ、公害時代の逸話として知っておきたい気がするよ。
 ……こんなところか。実のところ、ここに挙げたものの他に、如来・菩薩・明王・天の代表的なものを紹介する「仏尊の図鑑」や、梵字真言・印などなどの軽いディティールが一番楽しめるところだったかな。まあ、とにかく俺にとっての一つの教科書として、なかなか重宝する感じなのであったよ。