どこまでが生命か、どこからか生命か

goldhead2005-11-09

 科学的な定義としての「生命」ではなく、「生物が生物として存在し得るゆえんの本源的属性として、栄養摂取・感覚・運動・生長・増殖のような生活現象から抽象される一般概念」(広辞苑)としての話をする。
☆☆☆☆☆
 俺は台所で生命について考えることが多い。死肉や死魚を見て考えるのではない。いつの間にか芽を出してしまうニンニクやショウガ、そういったものだ。そういった生活現象から、「こいつらは生きているのだろうか」と疑問に思うのだ。
★☆☆☆☆
 桜玉吉の漫画にミスジコウガイビルが出てきたのを思い出す。プラナリアの一種であるミスジコウガイビルは、切断すればそれぞれがまた一つの個体として生命を持つ。桜玉吉キンタマキューになると同時に、こいつらにとっての命とは何か、一人に一つの命なんてのは、人間の都合に過ぎないのだな、と思う。
★★☆☆☆
 ダイソーで俺はビニールパックされた葉っぱを見つけた。「幸せの葉っぱ」とある。よく見ると、葉っぱの先から小さな芽が出てきている。なんだこれは。俺は思わず、芽の出ているやつを選んで購入した。
★★★☆☆
 台紙に詳しい説明があった。マダガスカル原産で、学名はKalanchoe pinnata。セイロンベンケイソウ、トウロウ草の名で呼ばれるようだ。芽が3cmほどになったら親葉から切り離して、そのまま土に植えろという。大きさは1.5mにもなり、何年かすると花を付けるという。
★★★★☆
 俺の買った親葉はすでに枯れてしまってカラカラだ。ただ、芽の方には活き活きとした根が出ており、俺は急いで分離して、三本の芽を別々の鉢に植えた。一つはバジルと同居、もう一つはケルベラと同居、最後の一つは多肉植物のメセンと同居させた。しかしなんだろう、葉から切り離されたそれは、単なる芽であって、もはや奇妙な奴の面影はない。欲張って芽が出たやつをえらんだのが失敗だったか。しばらく、葉から芽が出てくるさまを眺めるチャンスがなかった。しかし、一応枯れた葉を鉢の土の上に置き、水などを掛けておいた。葉の細かな切れ目には、まだ軟毛のような根が見える。
★★★★★
 しかし、なんてふざけた増え方をする奴だろう。そう思わざるを得ない。逆にこの植物にしてみれば、いちいち性器ぬぞぷりして子どもを作る動物に言われたくはないだろう。しかし、この件に関しては意識を獲得した方の言ったもん勝ちである。うまく育って、落ちた葉から芽が出てきたりしたら、やっぱり「ふざけた野郎め」と言ってやろう。