『天平の甍』井上靖

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(私が読んだのは昭和三十九年刊・定価80円のもの)

 「この前お出での時は確か『虚空蔵求聞持法』だったのでしょう。二十年くらい前、善無畏が長安の菩提院で訳したものです。いまここにあるものは先年大福先寺で訳した大日経で、密教の教理はみなここに説かれてあります。まだ他にはあまり写されていないはずです」

  鎌倉の小町通の脇道に入ったところにあった古本屋、そこの店先の百円の本棚で見つけた。NHKで鑑真の番組(id:goldhead:20051020#p2)を見たときに気になっていたもので、これも八幡様と高徳院におわす阿弥陀如来様のお導きに他なるまい。
 しかしなんだろう、俺も変なところに来た。読んでいてそう思わざるを得なかった。なにせ、留学僧が鑑真を連れてくるという、遠くからみれば実に地味な話なのだ。そんな小説を読んでいて、「善無畏」や『虚空蔵求聞持法』、『大日経』にピンと来てエキサイトするのは、なにか変だ。巻末の解説に書いてある「日本は弘法大師以前に、正式の密教を持ち得たろうとした」(これは解説者がまた別の人の述べたことを引用したものだが)というのにも「『虚空蔵求聞持法』も、『大日経』も空海入唐以前に伝わっており、空海がそれを手にしたのは日本でだ。経典のみでは正式の密教は伝教されない。また、それが密教の本質なのではないのか?」と疑問を抱いてしまったりもする。なんなんだ、俺は、みたいな。けど、小説読んで楽しんだんだから、まあいいか。
 で、NHK見たときは鑑真の話かと思っていたんだが、あくまで主役は留学僧。五人の留学僧の群像劇。この、それぞれの生き方というものがパッキリいってて実に面白い。主人公はわりかし普通の奴で、また、大陸浪人になる者、唐人と結婚してしまう者などさまざまである。しかし、中でもなんといっても業行という老僧が一番の印象である。己の非才を悟り、あとは一生を抛って写経に身を捧げた老僧である。彼の叫びこそがこの小説の最高潮であり、これには胸打たれる思いであった。しかし、彼の一生とてまた歴史の中の捨て石であり、より大きな流れは途切れることがない。その中を流れてくる‘天平の甍’、いいじゃないですか。
 ……とはいえ、小説の調子はすごく抑制されているというか、落ち着いたもので、決して「圧巻の大スケール歴史群像」なわけではない。そこらあたりが井上靖の真骨頂か(よく考えたら、俺は他に井上靖を読んだことがないのだから何もわからないが)。でも、阿倍仲麻呂吉備真備らの登場に、安史の乱の兆しなどなど、そのあたりの面白さもあるが。
 そうだ、最後にどうでもいい発見を。

 鑑真は俗姓を淳于、則天武后の垂拱四年(西紀六八八年)に揚州江陽県に生まれた。

 淳于って、淳于瓊の淳于じゃないですか。淳于瓊は酒をかっくらっていたら糧秣焼かれてとっ捕まって、曹操に鼻とか削がれちゃう人ですよ。まあ、広い中国で同じ姓も山ほどいるだろうけどね(さらに昔、淳于姓で名前の変換できない漢字の人がいた模様。そういえば、この本では鑑真の「鑑」の字が異字体であった)。そういや小説でも鑑真を武人に例える描写が多かったっけ。まあ、いやはや、だからなんだとはいえ、歴史というやつはどこかしら取っかかりのかけらが存在するものなのであった。