菊慈童は魚腹浦の夢を見るか?

goldhead2005-12-01

 三国志ファンは三国時代をどうしても過大視してしまう、あるいは過大視したくなるものです。しかし、世界史の教科書など見たところで、三国時代は中国の歴史年表の、ものすごく細い幅に、さらに三つに分割して押し込められているだけ。覚えるべき人名も主要中の主要である僅か数名。間違っても夏侯楙の名前なんか出てこない(私はこの、北方へ逃げ落ちて行方の知れぬ夏侯楙が何とはなしに好きです。私が井上靖だったら、夏侯楙を主人公にした小説を書きたい)。
 それでも、三国志ファンはいくらか有名な故事成語などに慰みを見出すわけです。幼少のみぎりは白眉とうたわれた私も今では毎日髀肉の嘆をかこつ呉下の阿蒙にすぎず綺麗なお姉さんと水魚の交わりをしたいと思いながらもスーパーで鷄肋の購入に悩んだ挙げ句冷蔵庫で腐った肉を泣いて馬謖を斬るの思いで捨てる毎日です、ジャーンジャーン
 そんなわけで、三国志とは関わらぬ文脈で、ふと三国志に関わる名詞を見ると嬉しくなってしまう。たとえば、天台密教の本(id:goldhead:20051124#p2)を読んでいて、ふと出てきたのが魏の文帝・曹丕でした。
 話は回りくどくなります。天台密教独特の釈迦→人王という王権の流れ(天台即位灌頂)にまつわる話です。しかしここの話は「菊慈童」や「枕慈童」など、枕太平記とそれを元にした能楽の話とまるまるかぶるので、こちら(http://www.ses.usp.ac.jp/users/nougakubu/tan7-zenbun.htm)の全文紹介などに詳しくあります。すなわち、釈迦→周の穆王→菊慈童(彭祖)→曹丕→(ここからが天台独自)→南岳大師(天台宗開祖)→恵果大師→天台大師と引き継がれたという話なわけです。おや、恵果といえば正密のサイアーライン(サイアーではないですが)で空海の一つ上に位置するわけです。それが、最澄へとは? あ、天台大師(最澄の前世と信じられた)だって。別人か? 天台宗を開いた人とあるな。しかし、そうなると時系列のわけがわからない。また別の恵果がいるのか? 単にこの学研の本の誤りか。まあ、そんなことはどうでもよろしい。単なる伝説上の中継者だけれど、親父の曹操を差し置いて曹丕が出てきたという話でありました。
 しかしなんでしょう、慈童の話はエロいです。そして、そのエロさを伴って、これまたつい最近別の本で私は出会っているのです。倉橋由美子『夢の通ひ路』(id:goldhead:20051116#p3)の中に「慈童の夢」といふ題名の一話があつた。そこには「美少年といふ観念を超えた美少年」であるところの慈童が出てきて、主人公の桂子さんと交歓してしまうわけだ。それも「母親の気分のままの桂子さん」が「母子相姦といふ夢」心地なのだから、これも倉橋の強烈な薬味つきなわけなのである。おや、穆王から頂いたという妙文も記されてゐるぞ。

具一切功徳慈眼視衆生
福寿海無量是故応頂礼

 しかし、いい加減この話題を「空海」といふ小見出しで括るのも難しくなつてきたのではないかと我ながら思はなくもないのである。だうしたものだらうか。