名将・仰木彬、死す。

『戦後プロ野球50年』近藤唯

プロ野球選手というのは要領がいい。ドロボー猫みたいに要領がよくないと、野球やって女房、子供を食べさせていけない。風のような速さで豊田が最上席の場をゆずる。仰木がさっと座ぶとんを持ってくる。高倉が三原の肩をもみ出す。それから約一時間、三原は肩をもませながら女風呂をのぞきつづけた。昭和11年プロ野球が創設されて以来58年間、名監督は10人を超える。しかし、選手に肩をもませ、女風呂をのぞいた名将はこの三原しかいない。

 女風呂のぞきの話からする。野武士軍団と呼ばれた西鉄ライオンズの宿舍から、銭湯の女風呂が覗けた。そこで選手たちが女風呂をのぞいていると、名将三原脩がやってきて、上のようなことになったのである。豊田は豊田泰光、さっと座布団を持ってきた仰木は仰木彬その人である。後に仰木彬は、昭和11年プロ野球が創設されて以来の名将となった。
 私が仰木彬の訃報にあたって女風呂の話をしたのは、手元にあった近藤唯之の著作の中から仰木彬のエピソードが他にみつからなかったばかりではない。この女風呂のエピソードこそが、後のイチローをさえ生みだしたのではないかと思うからだ。すなわち、三原脩の非管理型野球を受け継いだ仰木だからこそ、イチローの個性を殺さなかった。野武士軍団西鉄(当然私の生まれるずっと前の話である)と、現代メジャーリーグの第一線にあるイチロー。性格も何もかも違うそこにも、何かしら一本のラインがある。絶えることのない野球の遺伝子がある。
 仰木彬は死んだが、仰木の野球はどこかで生き続ける。マジックと呼ばれはしたが、その細かな采配も現代において全く色あせない(同じようにボビー・バレンタインの采配もマジック扱いされているように)。偉大な過去があり、それを受け継ぐ未来がある。まことにプロ野球は不滅である。以て瞑すべし、稀代の名将。