『何も願わない手を合わせる』藤原新也

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 「ほら、このお家に御大師さんっていうエライエライお爺さんがいてはるんよ。こうやって手を合わせ、御大師さんコンニチハってお辞儀をしてみ」

◆流れ星に願い事を三べん唱えると願いがかなう。そんなロマンチックなまじないがある。しかし、俺は流星群を屋根の上で一晩中見続けたから言えるが、うまく唱えるのは至難の業だ。流れ星に出会って、まず自分の数ある願い事や欲望のリストにとまどい、何か一つ決めたところで、もう星の尻尾も残っていない。そして、流れ星の遥かしたの下の地べたにとっちらかった自分の欲に赤面する。あるいは、どこかの賢い坊さんか何かが、この説教のために考えたまじないじゃないのか、とか思う。
◆著者の四国巡りをベースに、生や死や別れや出会いについて書かれたものだ。とても落ち着いたトーンで、読み始めたら止まらず、結局深夜に帰宅したあとそのまま読みきってしまった。
◆それにしても四国だ。当然、お遍路さんである。もう、どの本に書かれていたのか忘れたが、一円玉の願掛けの話も、そして写真も出てきた。やはり四国は不思議の国なのだろうか。瀬戸大橋が四国をつなぎ止めている間に、是非一度訪れてみたい。
◆いい本だ。カバーのさわり心地がしっとりとしていい。表紙のデザインと帯のデザインがばっちり決まっている。本紙の紙もいい。本文を囲むように焼けがあるように思えるが、それがいい。実際に焼けであって、そえで俺がこれを六百三十円で買えたのかもしれないが、それなら焼けていた方がずっといい。
◆写真が何とも言えずすばらしい。車窓からパッと撮っただけのように見える写真。インクの沈む紙に濃く沈み込むような中、なんでこんなに光があるのかわからない。こんなに光がある写真はあまりみられないもののように思う。
◆故郷の家を失うエピソードがまた出てきた。俺自身の体験もあって、これには捉えられる。前に猫との別れが出てきたが、今度は秋田犬とのエピソードが出てきた。
◆一番印象に残るのは……と言うと難しい。「古い時計」。何十年も老夫婦が営んでいる(かどうかもわからないような)店に置かれたままであったろう目覚まし時計を、ふと旅先で買ってしまう話。このモノ感には棘があって少し刺す。猫好きなので「春の猫」、がんばれ斎藤。「菜の花電車」は写真にビタッと繋がっていてこれには参る。「眼差しの聖杯」でいきなり浜崎あゆみの着メロについて出てきて驚いた。そして、東京じゃそのデビュー曲は古くなっているとか書かれている。もうちょっと古い本かと思っていたのだ。あと、えーと、きりがないからいいやべつに。
藤原新也といえばwww.fujiwarashinya.com。この本の著者プロフィールにも記されている。俺がそのサイトに気づいたのは先々月に『東京漂流』を読んだ(id:goldhead:20060214#p1)とき、何気なく検索して見つけたものだ。どの本だったかそれ以前に、「私はワープロを使った上で、ワープロは必要ないと判断した」というようなことを書いていたので、ましてやパソコン、インターネットなんてと思いこんでいたのだ。いやはや驚いたな。それで、データの一部を消してしまったり、「リンクフリー」や「引用禁止」などの文言で山ほどメールを貰ったりして「この修行は何か」などと書いているのだから、微笑ましいと言っては失礼だろうか、意外や意外の印象であった。
http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php

 私のような年齢の人間、なかんずく人一倍現実世界の修羅場を乗り越え修行もしてきたと自負する私のような者もネット世界ではまだ5歳の幼児のようなものだ。