ゲームバランス悪し

http://www.asahi.com/life/update/0630/014.html

 インターネットの掲示板の書き込みで被害を受けた人が書いた人を見つけられるように、発信者情報開示の指針をつくるべきだ――。そんな内容の報告書案を総務省の「インターネット上の違法・有害情報への対応に関する研究会」が30日まとめた。

 あるサイトで見つけた話題。その話題のタイトルは「日本のネット言論が死ぬ」だった。死ぬか? 俺は死なないと思う。まあ、この指針とやらがどれだけ有効なもので、どんなふうに運用されるかは知らない。しかし、方向性としてはいいと思う。匿名の野放図に待ったをかける方向は。むしろ、匿名の安全地帯から糞投げつける誹謗・中傷やりたい放題の状態は殺すべきだと思うくらいだ。それらは言論じゃあない。「まともな言論も巻き添えを食う」という心配はあるかもしれないが、言論だと思うのならば信じてどんと構えていればいい。どっかの新聞の宣伝文句じゃないが、言葉を信じりゃいい。味噌のために糞をかばう必要はない。では、ネットは既存マスメディアとまったく同じ程度の物言いしかできない場であるべきか。俺は、建前上それでいいと思う。建前上。健全な都市の、社会の裏側に、どうしたって闇社会、ダークサイド、アンダーグラウンドは生まれる。やりたいほいだいやりたければ、そこでひっそりやればいいし、見つかったらそれまでだ。その覚悟でやるべきだ。今はもう完全な死語だろうけど、アングラってのはそういうもんじゃないのか。匿名の無法地帯は、いろいろの強力なものが満ちていて、それゆえに魅力いっぱいだけれど、それが光を浴びて堂々と巨大になってしまったら、今度は無敵過ぎてバランスが悪い。見逃されるていどの子どもの遊びも、大きくなりすぎるとたちが悪い。それで、よしあしわからずその場しか見られないよちよち歩きの子が、それを見てインターネットの力、権利、自由の、本来あるべき姿だとか思いこんでしまって、さらに肥大化して、集団になって、どうしようもない。一人一人が、一般社会、通念、法から逸脱を自覚した上で、自分で責任をもってやるべきだ。光を当てられて都合が悪いのならば、裏道に隠れればいい。隠れたりごまかしたりするスキルがないなら、大人しくしていればいい。それとも、俺はあまりに、今のネットの規模を勘違いしているのだろうか?