『プライス・コレクション 若沖と江戸絵画』東京国立博物館

goldhead2006-07-17

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はてな内に公式ブログがあるとは知らなかった)
 先週の土曜日に訪れた。東京国立博物館に行くのは今年の春の『天台展』(id:goldhead:20060417#p1……同じ館でした)以来、日本画中心の展覧会はいつぞやの琳派展(id:goldhead:20040905#p1……一番印象に残ってるのはクリムトだったりしますが)以来となった。誘われて行ったものの、伊藤若沖の鶏は見ておきたいと思っていたので、渡りに船というところ。
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 『鳥獣花木図屏風』に心打たれた。精密なドット絵のような技法とは知っており、そういうつもりの予備知識しかなかったが、俺には宗教画以外のなにものでもなかった。俺は動植物のイノセンスに弱いところがあって、そのへんを刺してくれる代物だった。見ていて泣きそうになった。特に、白象の左下、豹らしき肉食獣が、小さなネズミかなにかを見ているところ、そこがいい。それをさらに手前から見ているリスかなにか。この緊張感、しかし、やはり安定した平和と調和。一度全部見終わって、また戻ってそのへんを見た。さらに、ここのところが拡大されてTシャツになっていたので、言うべきことはなにもなく、買うしかなかった。そうだよ、やっぱりここだよな、という具合。右上に猿一匹樹の股から皆を眺めまわしているようで、これが作者の姿かと思ったり。
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 今回の展覧会、やはり若沖のものが頭一つ抜けていたように思える。お目当てだった鶏、『旭日雄鶏図』のしびれるようなかっこよさに、『紫陽花双鶏図』のゴージャスさ。雄々しく、優雅で、力強く、透明感もあり。鶏は鶏の地位向上について、若沖を表彰した方がいいんじゃないだろうか。さらには『花鳥人物図屏風』と『鶴図屏風』のモダンさというか、時代を感じさせないキリキリにきている鋭さなど、唸るよりほかない。
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 とはいえたとえば長沢芦雪の『牡丹孔雀図屏風』。応挙を模したものらしいが、孔雀の頭部のおそるべき密度から、胴体へ、羽へと広がっていく動き、そう、フワフワと動いているかのような羽毛まで、まあ、おそるべし。恐るべき細部といえば、いくつかの『猛虎図』。細い細い線によって、表面のリアルさがすごいことになってる。なんでこんなにすごい細部を描いてきた日本画、影を描いたりしなかったんだろうか。あと、今回見た猛虎はみな耳が小さく描かれており(そういうお約束なのだろう)、リアルなドラえもんに見えた。
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 最後に照明に趣向を凝らしたコーナーがあった。フラットな蛍光灯の光ではなく、朝日から夕日にいたる日光風の照明を向けてみたり、ろうそくの炎の揺らぎを再現してみたり、と。これにも唸らされた。なるほど、これが自然な鑑賞スタイルなんじゃないか、と。
 むろん、美術館における作品の見せ方については、その筋の専門家たちが長い時間をかけて築いてきたものだろう。しかし、江戸時代に蛍光灯のフラットな光でそれら作品を見たやつはいなかったし、描いた人間だって蛍光灯の下で描いたわけじゃない。そう思うと、やや暗めの中で見る作品の方が、実に自然に思えてきたのである。それに、金箔だっていろいろ光が当たって面白いもので、変化を楽しめてナンボじゃないか、とか。ただなんだ、照明がゆっくりとだが変化していくというのは、やややり過ぎ、けれんすぎの感もあったが、いやしかし、このくらいの暗さで他の作品も見てみたかった。
 しかしこういう発想、個人コレクターによるものかと思うとうらやましい。自分のものだったら、自分の部屋でミラーボールとかで見たって自由だ。ねっころがって、ろうそくの光で見ることだってできるだろう(煤がつくかもしれないが)。うらやましがったところで、どうしようもない話ではあるが(美術館に夜忍び込んだら面白そうだけれど)。
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 というわけで、若沖を中心にかなり楽しめて満足満足。東京は苦手だが、こういうのなら足を伸ばして行きたいと思う次第。