校長先生昼休み通信

http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/katei/news/20061005ddm013100062000c.html

「ゎたしゎ、きょぅゎ部活がなぃの」「ぁたしゎ、中一です」−−。女子児童や女子中高生同士がやりとりする携帯メールやインターネットの掲示板で、一部の文字だけを小さく記す文章が目に付くようになった。

 私の家にはパソコンもネットもないため、在宅時はネットのユビキタス的なサービスからいわゆるディバイドされる立ち場にあり、あるとき海外競馬に出走した日本馬の結果を知りたいと思い立ったときも困ったことになった。携帯電話のイージーウェッブを使うことを思いついたので、アクセスし、人の多いブログサイトならば誰かが記しているのではないかということで、トップメニューからブログサービスにたどり着いたが、目的は果たせなかった(一日勘違いしていたため)。しかし、その際におもしろいところを知ったのが、DUOBLOGというケータイを中心としたブログサービスで、インターネット上で目にするブログの類、とくにはてなダイアリーなどとは大きく違った異文化の存在に腰を抜かしたものである(インターネットでも見られる→http://blog.duogate.jp/service/)。
 その後、ちょくちょくその知らなかった世界を覗くようになったのだが、「恋愛・結婚」のカテゴリが特におもしろく、あけすけに色々なことを、ほとんどが若い女性が書いており、その独特の表記は一度はまったら病み付きになるほどのものである。はじめは隠語とも言うべき意味不明の記述に難儀もしたが、やがて「ダァ」が「彼氏」の事を指すのだということなどを把握するにつれ、すらすら読めるようになってくる。
 そこで気づいたのだが、単語や記号の意味を把握した上でなら、彼女らの文章が実に読みやすく、何を言いたいのかすんなり伝わってくると言うことであり、そういった言葉遣いを意味不明の日本語の破壞と眉をひそめる人たちの言うことはあてにならないという結論であり、年配の人間は年配の同世代の人間の書く文章を見て「自分たちも書ける、ちゃんとした日本語を使える」と思いこんでいるのではないかということである。
 考えてみてほしい、世の中に流通する印刷媒体の文章というのは編集者や校正者の手が入った上で掲載され、流通されているものであって、文筆そのものを生業とする人ならばまだしも、そうでない人たちの文章が、何も手を加えられていないで、いかに独り善がりでボロボロのものか、想像ができるだろうか。もう、むちゃくちゃです。その点、書き手が編集者でありパブリッシャーであるところの現代若者の自己編集的なスキルについて、より鍛えられて真っ当な能力のあることについて認められるべきであろうと私は思うのである。記事にもあるが、そういった子らは使い分けも当然できるであろうし、ネット=メール=ブログ普及によって、日本人の文章力自体は今後さらに上昇していくのであろう。ただし、思わず清水義範パスティーシュしたくなるような、味のある、野趣に富んだ文章は減っていくものであろうと、そういった文章はデジタルにディバイドされた所にしか残らず、目にする機会は少なくなっていくのであろうと思う。