‘さわやか相談員’に命を託せるだろうか?

http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20061113-116492.html

 埼玉県本庄市の自宅で首をつって自殺した同市立本庄東中3年の男子生徒(14)が「同学年の生徒から、借りていない金の返済を迫られた」と学校側に相談していたことが、13日分かった。本庄署が関連を調べている。

 この自殺の件について今朝のワイドショーでくわしく。生徒はまずさわやか相談員に相談した。一日経って教師と生徒の話し合いがもたれた。次の日に加害者とされる生徒と教師の話し合いがあるはずだったが、加害者とされる生徒が欠席したのでやりとりできなかった。その次の日は教師が出張で不在だった。その次の日が土曜日で、自殺した生徒は親に打ち明けた。その次の日の日曜日に生徒は首を吊った。
 ニュースを見た限り、学校、行政側はそれなりの体勢を備えていたし、きちんと対処しようとしていたように見受けられる。しかし、悲しいかな、機能しかけたけれど、機能しなかった(……とりあえず、自殺の原因をいじめとして話を進めます)。仕組み的に悠長な面であることも否めない。そこが惜しい。相談には大きな勇気がいる。あるいは、相談したあとに、「相談したのが間違いだったか」という後悔や迷いにとらわれるかもしれない。よりいっそう不安になるかもしれない。そこをケアする仕組みがほしかった。相談してすぐに安心させてやらにゃかもだ。
 別に‘さわやか相談員’を否定するわけではない。生徒などのさわやかな相談相手として、教師以外の存在としてさわやかな役割があるかもしれない。しかし、金銭恐喝に対処する存在としてはどうか。話を聞き、それを教師に伝えるしかない。適切な対処をする権限もないだろうし、迅速な措置をするマニュアルもないのではないだろうか。とはいえ、それは教師だって一緒だ。仕事が終われば家に帰らなくてはいけないし、学校を休んでいる加害者生徒の家に行っては、授業や学校の仕事はどうなるのだ。彼らに負わせるには、仕事が大きすぎるし、専門的すぎる。年中無休、二十四時間態勢で人と人との間のトラブル、事件に対処できる担当者が必要だ。威厳をもって調査できる立場の人間が必要だ。しかし、どこにそんな便利な存在がいるというのか。
 ……って、電話で110番した先にいるじゃないですか。北海道でいじめを警察に被害届を出した件があった(http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20061103ddr041040006000c.html)けど、それじゃいけないんですか。そりゃあ、俺だって警察や警察官が完全無欠の存在だとは思わない。たらい回しや無責任でひどい事件になったケースだってあった。しかし、やっぱり社会の中においてこの手の問題についての専門家として彼らにおいてほかになく、かつて教師や学校がそなえていたかもしれない権威をもって事にあたることができるってもんじゃないですか。「クラスのみんなに無視される」というので警察が介入するわけにはいかないけれど、ゆすりたかりや暴行については、学校内のルール云々以前に、社会の法に反する。自殺したケースでも、教育委員会と同時に、第三者たる警察が入ったっていいと思う。
 でも、やっぱり教育現場の教師さんたちは、それをいやがるのだろうな。一つは思想的に警察権力嫌っていそうだし、一つは自分の仕事に関する縄張り意識もあるだろう。しかし、現状でほころびが見えて隠せないのだから、ことこういった件については協力体制でいいじゃないか。子供は学校ばかりでなく、地域や社会で育てるというのならば、その社会に法や法の番人などが存在するわけで、お巡りにびびるのも教育の一つかもしれないだろう。びびって連れて行かれるときに、中島みゆきを流してやるのも教育者の配慮だろうと思うのだ。