なぜ女三蔵は西域を行くのか?

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2006/12/06/04.html

 本来は男性の三蔵法師を女優の深津絵里が演じたことなどに対して「日本人による文化の改ざんを許さない」との批判が目立つ。

 こないだフジテレビで放送していた『西遊記』が、バッシングを受けているとのこと。中国人にとっての西遊記がどのようなものなのかわからないし、反日というが先に感情あってケチつけているのであれば、あまり興味の持てる話ではない。ただ、玄奘三蔵が女、ということに関する違和感については、わからないこともない。勝手に性別を変えてもらったら困る、というのもあるだろう。もし日本で、歴史を題材にした人気ジャンル、たとえば新選組沖田総司が女だった、という設定で作品を作ったらどうなりますか。『幕末純情伝』になりました(ASIN:B00005V2JZ……渡辺謙の復帰作だったとは。けど、これも女性ファンなどは嫌っていそうだな)。
 それはそうと、三蔵法師は男か女か。これは、小さなころの俺の疑問であった。つるっぱげのお坊さんなのに、女なのか、と(尼僧という発想はなかった)。これについて、一つの答えを与えてくれたのは、映画ドラえもんの『のび太のパラレル西遊記』。史実上の玄奘はおっさんとして描かれており、「やっぱり男なんだ」と納得した次第。しかし、やはり納得いかなかったのは、当たり前のようにしずちゃんが三蔵役に収まったことにある。「なぜ、三蔵法師は女なの?」と。
 これに対する答えは明白だろう。かつてのドラマシリーズ(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%81%8A%E8%A8%98%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA)で夏目雅子が演じたから、だ。ただ、俺は世代的にそれを知らず、それによって女イメージが広まったことなど知りようがなかったのだ。そこに長い違和感があったというわけ。 
 しかしなんだ、wikipediaによればそのシリーズ、日中協力のもとに作られ、「中華人民共和国の中央放送局である中央電視台でも放送された」ってあるじゃん。その当時は、バッシングは起こらなかったのだろうか。また、今、非難の声を挙げているひとは、このことを知らないのだろうか。まあ、ここから何かを導き出すのは難しい。当時の中国人も嫌がったが、声をあげたり、それが広まる自由がなかったのかもしれない。テレビ自体の普及数が少なかったのかもしれない。女性化は気になったが、ほかの部分で許せたかもしれない。あるいは、夏目はいいが、深津はだめだ、という意見かもしれない(深津好きの俺としては受け入れがたい仮説)。そもそも、今回のバッシングだって、どれだけの人間がやっているのか、本当にあるのかわからんからね。だいたい、西遊記三国志を元にした、さらに一部のチャイニーズの怒髮を天にお届けするようなアニメやゲームもあるしね。
 えーとまあ、ともかく、別にどうということもないか。日本人の三蔵がいた(id:goldhead:20060110#p3)ことも忘れないで、とか、そんなところで。