さて、帰るか

 ここのところやのつく自由業の方々がなにやらお忙しいようで、朝から町がぴりぴりしていることもあるけれど、深夜零時もまわってしまったらもう静かなものだ。ジェットストリームも終わるし、家路に着こう。日刊帝国ニュースによれば、2000年―2005年間で公共事業削減ナンバーワンの都道府県は長野県、二番目が神奈川県。どちらも60%以上だ。俺、というか俺を取り巻くこの小さな環境はよく生きているな。いや、一度死んだ、まだ死んでいるのかもしれないが。最近の倒産理由を見ると、暖冬で服の卸や小売りが潰れていたり(もちろん中国製による安値の叩き合いもあるが)するが、原材料費高騰というのも少なくない。最近同人誌で荒稼ぎなんて話題も見かけるが、漫画は映画なんかに比べれば、はるかにコストがかからない。たとえがおかしいか。何かブツを作るには、そういったリスクがある。ならば、アイディアとテクニック、ソフトを作る方が、元手に関しては掛からない。もちろん事はこんな単純な話じゃあない。そりゃあわかっている。ソフトとハードの境目にしたって、18禁マークがつくかどうかほどはっきりしない。乳首と性器さえ出ていなければいいだろうという態度は、やがて巻き添えになるほどでもないものを巻き添えにしてしまう可能性がある。しかし、どうにもハードよりソフト、そちらの方がローリスクの気がする。いや、そう思いたい。しかし、ならば形などない金で金を買う世界はどうなのだろう。俺のまったく知らない、金融だとか株だとかの世界。あっちの方が手っ取り早いのか。馬も走らない博打に人間が得られるものがあるのか。馬が走らなければ、モーターボートを走らせればいいじゃない。三連単は高配当で人を一時ひきつけはするが、長続きさせない。俺は馬連の時代からのファンなのでそれがよくわかるが、今入ってきて三連単を買うファンは、当たらぬことに業を煮やして家に帰るかパチンコ屋に行くのだろう。重勝式は頭数の少ない競技にはもってこいかもしれないが、やはりおなじこと。パチンコというのはいったいどういうものなのだろう。俺を取り巻く小さな環境が激変して、俺の生活が激変しない限り、行くことはないだろう。初期投資が大きな博打には参加できない、参加したくない。時間とともに金が減っていく博打は恐ろしそうだ。買うか買わぬか迷って、売るか売らぬか迷わなければならない株も同じだ。締め切りのベルが鳴ったらハイそれまでというのがいい。人生に締め切りのベルが鳴らないので、どちらの方が人生を比喩とするかはわからない。