『澁澤龍彦 カマクラノ日々』鎌倉文学館

goldhead2007-05-21

http://www.kamakurabungaku.com/exhibition/index.html
 ゴールデンウィークに続いての鎌倉参戦である。俺は四半世紀近くカマクラノ住民だったが、鎌倉が観光地であることを少々いぶかしく思っていた。京都なんかと比べて、こんなに狭いところに来て、そんなに見るところがあるのだろうか、と。しかし、考えてみれば俺は鎌倉の辺境、津西〜腰越の人間であって、中心地の奥深さをよう知らんのである。見どころの多いところ理解しておらんのである。それでもって、路地なんかもゾロゾロと歩いて、古くからの住民に「冗談ではない、私たちにとっては生活のための道路である。観光客に道路を占領されて、車も出せないようではたまらない」(「鎌倉のこと」―『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト」)などと思われてしまうのである。

 鎌倉文学館も、俺にとっては「鎌倉駅方面に行く途中に信号の標識で見かけたな」というくらいのもの。さりとて、鎌倉の文士に興味がないわけではない。田村隆一高橋源一郎、そして澁澤龍彦。でも、この面々ってあんまり扱われていなさそうじゃないですか。そういうわけで、とくに行こうという機会もなかったというわけ。

 が、神奈川新聞の記事で見つけたのだ、‘渋沢竜彦’展をやってますよ、と。しかし、「彦」の上んとこを×にしろとはいわないが、このスカスカさはひどい。

私は署名をする時にも、竜彦などとは間違って2も書かない。竜という字をよく見てごらん。これはタツではなくて、しっぽの生えたカメみたいではないか。馬鹿にするな、と言いたくもならあね。

 と言われてしまわあね(「記憶の遠近法」)。

 まあともかく、日本中の澁澤ファン(おもに文学少女および元少女)がここに集結しているであろう文学館へ行ったのだ。行く前に、小町通で食事をした。あのインド人のカレー屋(id:goldhead:20050807#p3)が無くなっていって残念だった。その向かいの古そうな喫茶店のようなところ(id:goldhead:20050122#p2)でドリアを食べた。その店、前にも外国人客がいたが、この日もいた。ウェイトレスのおねえさんはまるで英語ができなさそうだが、あの店は何か外国人を惹きつけるものがあるのだろうか。

 江ノ電でもSUICAが使えた。無人駅の出入り口に突っ立ってる装置は妙だった。

 由比ヶ浜の駅から鎌倉文学館へ。けっこう人がゾロゾロゾロ。「これが澁澤人気か」と思ったが、どうも中高年のヘビーなカメラ趣味者が多い。はて、何かと思いきや、なんと文学館の庭でバラ展をやっているのであった。

 というわけで、澁澤展は空いておりました。靴を脱いで上がる文学館、常設展の方は混み合っていたけれども、澁澤展は空いておりました。だけれども、そのおかげで肉筆原稿とかじっくり見られて文句なし。そういえば、こういう文学者展みたいなのに来るのははじめてだろうか。
 「小説なんてのは中身だろ。生原稿なんか見てどうすんだよ」という思いはあった。正直。だけんでも、いや、これって意外に面白いのね。たとえば、澁澤の字はかなり現代的で読みやすい。同行者曰く、「コピーライターの書くような字」。校正の仕事などもしていたし、そういう面もあるのだろうか。けれども、大学の論文なんかはなんかちっこくて少女文字みたいなので、タイトルに飾り罫なんか入れてたりして、これまた雰囲気が違ったりとか。

 もちろん、生原稿だからこそ中身についてわかることもある。アパートを出る前に、「なんでもいいから一冊持っていこう」と抜きだしてきて電車の中で読んだ一節、偶然にも生原稿が展示されていた。

 熱病で死んだ僧興義が一匹の鯉と化し、琵琶湖の水中を泳ぎまわる幻想をほしいままにして、ふたたび眠りから覚めたように生き返ったという、上田秋成の『夢応の鯉魚』における周知の顛末は、いかにも夢に似ているが、厳密にいえば夢ではないかもしれない。

 という「夢について」の冒頭。ここの「周知の顛末」のところははじめ、「物語」となっていたんだな。それが消されて「周知の顛末」になっている。この変更の意図するところはなんぞね……って、この程度の修正、言葉の調子を整えたくらいのものかもしれない。だけんども、なんか面白くてね。文学部とかそういう人たちは、こういうことを年中研究しているんだろうか。

 もうちょっと内容面と生原稿というと、『高丘親王航海記』のラスト。ここに関する部分が面白かった。まず、手帳か何かに記された構想メモ。そこでは、玉が放り投げられると日本で赤子が生まれるとなっている。その終わり方はなかった。もっと終わりはさくっとしている。そのさくっとしている、あの不思議に現実に引き戻されるようなラスト。そのラストも、数行にわたって削除されたところがあって、ちょっと説明じみたところがばっさりやられてるのだ。うーん、すごいな、とか。でも、その朱が入った原稿からさらに変更もあるみたいだな。「モダンな」ってのは入ってなかった。

 あと、散歩ルートとかあった。ときには逗子の披露山まで足をのばしたとかあったけど、ちょっと散歩って距離じゃねえよとか思った。インドア派、書斎派と見せかけて、かなりの健脚やね。

 てな具合に、こういうのが珍しい俺には大満足の展示。ただ、そんなに大量にあるわけじゃない。お屋敷二部屋分。だから、澁澤マニアにとってはとくに目新しいものなどないかもしれない。俺くらいの、文庫本なら一通りてなぐあいのミーハーファンは大いに楽しめるかと思う。

 文学館自体こぢんまりしたもの。しかし、おみやげ物コーナーはある。澁澤先生ご愛用薬入れ付き指輪(きっと毒薬が入ってたに違いない)のレプリカでもないかと思ったが、そんなのはなかった。ただ、著作がいろいろと売られていた。それと、今回の展示説明をそのまま冊子にしたもの。まずそれをおさえて、さらに『澁澤龍彦の古寺巡礼』なるフォトブック(?)を購入。仏教づいてしまっとるからな、俺も。

 そのあとは庭でバラを見た。いや、話は前後するが、庭でクラシックの生演奏をしておったのだ。それを、館内のベランダで、椅子に座って聞いたのだ。少し遠い。海も見える。とてもいい。とてもいいところだった。バラを見るころに演奏は終わった。女性が四人でやっていたようだ。
 バラはさまざまな品種があった。世界各国のさまざまな品種だ。こういう場合、日本のは京成バラ園のが多いわけだけれども、‘流鏑馬’や‘化粧坂’などという名の、地元鎌倉で作出されたらしきものもあった。自分のお気に入りは‘ブラックティ’という名のバラで、花色が少し紫がかった茶色で、それ自体は渋いのだけれど、色とりどりの中ではなかなか目立つくらいの存在感があったのだ。

 そのあとは江ノ電で藤沢に出て、買い物などして帰った。藤沢の駅のあたりも様変わりしたりしていなかったりした。駅前の木に異常発生的に鳥がいたが、なにかあったのだろうか?

 澁澤龍彦はとても好きな作家だ。しばらくそれはそうと忘れていたけれど、やはり好きだ。いろいろ文庫本を引っ張り出してきて、読みなおしはじめている。俺もいくらか、仏教だとか古典とかの知識も、少しばかり増えている。はっきりいって、そんな少しばかりがなんということもないのだろうけれども、それはその分としてまた世界は繋がるし、リンクは更新されていくのだ。たとえば、澁澤が伊藤若沖id:goldhead:20060717#p1)を好んでいたとか、そんなことさっぱり知らなかったものな。よし、読むぜ。