『東西/南北考 ―いくつもの日本へ―』赤坂憲雄

東西/南北考 いくつもの日本へ (岩波新書) [ 赤坂憲雄 ]
 会社の本棚にあったこの本を見て、「趙州は‘東門西門南門北門’って言ったっけ」とか思って、でも、麻雀だと東南西北((とんしゃんなんぺー)って四方を言うよな、英語はNEWSなんかな(……http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/indexp_cgi_AC=1-12404←NEWSというのは日本の俗説みたいなもので、こんな覚え方があるようだ。いや、覚え方の話ではなかったけど)、とか考えて、かなりの速読で読んだ。大胆に、というか、適当に、中身で俺が受け取ったと思ってることをメモしておこう。ぜんぜん違うかも知れないけど。というか、無茶苦茶デタラメかもしれない。でもいいや、別に。
 柳田國男の日本列島を京都の中心の同心円の文化や言葉の伝播の遠く離れた北と南で同じのという話があってそれは一国民俗学というか一つの日本一つの民族という発想と志向をベースにしたものであるが日本という一つの国が成立したのは西暦七百年くらい以降のことであってそれ以前は日本列島人はいたけれど日本人がいたというわけでもなく箕作りの技法や死に対する穢れの思想や被差別部落の意識(東北にそれが薄いのは文明経済階級未発達のせいとする考えに対する疑問符)からは一本道では語り得ぬさまざまな日本いろいろな日本の姿が立ち上がってくるのであって立ち上がってくるのだ、と。
 じゃあ、こんなところで。