別の部屋からの騒音に悩まされたんだ

 以前、隣人の騒音で二度大家さんに相談した俺(一回目二回目、その間にも[トラブル]あり)、そっちの部屋はほとんど何とも無くなっていたんだけど、今度は逆の隣の部屋からジャジャジャーンとやられてしまったこの一ヶ月くらい。騒音は俺の心臓の動きを早めて、体を重くする。思考を遅くする。
 たぶん、入居者が替わったんだ。なぜなら、一ヶ月くらい前、表札のところに紙に手書きで「9月×日から●●(名前)」って貼ってあったからだ。あれは配達業者向けのアッピールだろう。ただ、ちょっと不可解なのは、外置きの洗濯機が前と同じということ。かなりの年季物なんだけど、これが不可解。
 それはそうと、そのおそらく新しい入居者が、おそらく趣味のクラシックを朝晩とジャジャジャーンと聴く。これがかなわない。夜も十一時を過ぎて延々とだ。朝も七時台からだ。カベをノックしてもぜんぜん効果ない。頭に来て思い切り蹴ってみて(響き方に自分がビビるくらい)、それでようやくおさまるくらいだ(けど、カベを殴り返してきた)。
 もう、これだけでかなり参ってしまうが、最近さらにひどいのがあって、なぜだかわからんが、ドアを全開にしてジャジャジャーンとやってたのだ、夜。もう寒いのに。これはもう、怒りというより気持ち悪さを覚える。なんなんだ、これは。さらにその夜、音に我慢して寝たのに、もう深夜一時過ぎ、目覚ましの電子音が鳴ってるので目が覚めた。音の出所は隣の部屋。私はもう限界だと思った。
 というわけで、大家さんに泣きついて、前二回と同じような経過中。ただ、念を押されて確認されたのは「○○号室ですね」、そう、おそらく向こうも、何か居住者台帳のようなものくらいあるだろう、そして、俺が過去に二度逆の部屋に抗議したことも残っているのだろう、今度は逆だ。そうだ、俺のこの電話によって、俺自身が「音に神経過敏すぎるクレーマー」の烙印を押される可能性は十分にあるのだ。もちろんそれは考えた。考えた上で、やはりドア開けっ放し大音量の気持ち悪さはかなわんと、俺はクレーマーと疑われようと、病的と疑われようと、やはり相談するしかないと思ったのだ。もちろん、前の相談が二年も前だし、向こうはおそらく転居してきたばかりだという点もある。しかし、やはり俺はクレーマー扱いされるかもしれない。
 そうだ、俺は俺が病気である可能性、普通の人ならなんとも思わない音に、過敏に反応しているのではないかという疑念を抱かないわけではない。しかし、それでも自分の中のありとあらゆる理性を動員して、さらにはしばらく泣き寝入りしてみるという過程、慎重さ、そういったものから、判断したのだ。瞬間的な怒り、ではない。泣き寝入りできるものなら、泣き寝入りしたいのだが、やむにやまれず、泣きつきを選んでみたのだ。自分自身に対する疑念……それは、「そもそも俺は音を聞いたのか?」、「幻聴、幻覚ではなかったのか」というラインまで真面目に取り込み、その上での判断だ。自分のすることを信じる、信頼するか、というのではなく、自分の経験の存在を信じるか、否か、そこまで踏み込まざるを得ない。
 しかし、やはりどこかで、どこかのラインで自分の理性、経験、感覚を信じなければいけない。そうでなくては、完全な懐疑にゆだねては、靴を履いて外に出ることすらできない。さまざまな可能性を考慮しながらも、やはり自分の見聞きするものをベースにしなければならない。もしも、それが社会通念から外れていたら、その社会からの指摘によって自分の自分への信ずることがらについて再検討するよりほかない。そういう意味で、前回の抗議について逆指弾ということはなかったし、また、別の事柄について俺が恐れるような結果になったことはない。ただ、今まで連勝していたからといって、次のレースに勝てるとは限らないのだ。幻聴や幻覚、ニセの記憶がどこから滑り込んでくるか、いつ滑り込んでくるか、いつ俺が操り人形になっているかはわかりはしない。勝っていた記憶だって捏造かもしれない。
 だから俺は日記をつける。つけようと思う。今回の件についても、異変を感じ始めたそのときに、そのことを記しておくべきだった。それは失策だ。もちろん、その「感じ」が信頼できるものかどうかはわからない。ただし、その「感じ」がいつからあったかということについて、残された脳の外部の日記について裏切りは少ないに考えられる。連綿と続く自分が自分であると考えている意識は、連綿と続いているがゆえに、自動的に上書き保存されていくように、その過去について信頼できないところがある。データそのもの、判断力そのものが書き換えられていることに気づかないことがあるかもしれない。そういった意味で、日記は一つの補助になる。本当は、一日一日の脳を外付けハードディスクにバックアップできて、見たもの、聴いたものを、第三者が確認できる形でアウトプットできるようなのが理想だろう。ただし、それは今のところ無理な相談だし、デメリットもありそうだ。だから俺は日記に託すしかないし、あるいは、そのときどきに、まるでニセのアリバイづくりや印象づけを行う犯罪者のように、第三者に語りかけておくしかないのだ。それがたとえ、より大きな偽りであるという可能性を孕んでいたとしても。