『ライト・イズ・ライト Dreaming 80's』見沢知廉

 

ライト・イズ・ライト―Dreaming 80’s

ライト・イズ・ライト―Dreaming 80’s

 俺がはじめて見沢知廉を知ったのは、別冊宝島の刑務所ものでさ、そのあとに姿を見かけたのは、あの高級雑誌「GON!」だったわけ。だから俺にとって見沢というと、右翼だとか小説家だとかいう以前に、刑務所に入っていた男であって、別冊宝島GON!で見かける男ということだった。でも、ちゃんと小説も読んできた。おもしろいもん。
 そして本作『ライト・イズ・ライト』。「ライト」をrightととろうがlightととろうがご自由に、といったタイトルでさ、最初期の作品を、晩年、死の直前まで加筆修正していたものみたい。そのせいか、なーんとなく全体的に仮組みとか、叩き台とか、そういった印象は否めない(あと、‘ゲッペルス’はないと思う。校正漏れ? わざとか?)。でも、逆にそのあたりがライトな感じになっているようにも思う。右翼、左翼、あるいはウヨクやサヨクがようわからんという若人におすすめ……かどうかはわからん。
 自伝的80年代新右翼青春群像、とかそんな感じか。正直言って、80年代に新右翼がどうだったとか、ぜんぜん知らない。「この登場人物は鈴木邦男がモデルかな?」とかそのくらい。団体とかさっぱり。つーか、どこまでノンフィクションなのかも。ので、「こういうものなのか」という、そういう印象があって。それってたとえば、この著者の刑務所ものなんかと一緒で、そこらあたり、当事者中の当事者でありながらも、作家の目でものを、時代を見ている、そういうとこだろうなあ。
 それでさ、えーと、俺がこの小説の中で一番好きなのは6章、コーポの一室で繰り広げられる「世界改造委員会」の会議、「ナチズム以上に洗練されたプロジェクトを組んで、ダイナミックに政権奪取、世界有色人種共同体達成、世界統一ゲオポリティクス、そして世界統一と世界の非マルクス的牧歌世界化――という超現実的でハイブラウな密教的会談」のシーンだな。これが世界革命からハイテク国家論、エコロジー、仏教、ユダヤ教ノストラダムスときて、まさにファナティックなジェットコースター、「とんでもない所から突然お化けが飛び出すみたいなスリリングな甘い味のする、ちょっとスリルのあるフルーツパフェの味」(と、フルーツパフェにたとえてしまう見沢もすごい)。

 思想は、ウオッカよりも強烈だ。四人は躁狂(オルギア)状態となる。マコとツカサは、ダダイズム美術を見るような楽しみを味わう。何かは判らないが、ただ、そこに深いマントルの下のコアから発生するような、巨大な地磁気の力を感じるのだ。

 そうだ、これ、俺、思い出すのはあの都知事選の政見放送泡沫候補と呼ばれる立候補者たち(id:goldhead:20070326#p1)。実現性とは別のところで、自らの志向する理想の千年王国を持つ人たち。言ってることの中身は支離滅裂で、突飛で、一笑に付そうとすればそれもできる。だけれども、俺は、あの人たちの言葉に何か「誠」や「志」のようなものを感じてならない(つーか、リンク貼るついでに見たら、‘かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂の精神’とか書いてて、俺もライトだよね)。この世界改造委員会の会議で繰り広げられるもの、それも同じではないかと思った。

ヨーコがこの光景を見れば自信をもって感応精神病、とカルテに書いただろう。しかし、このカルテやパトグラフィーは時として、パラドクシカルな理性の叡智、夕暮れに向かって飛び立つミネルヴァの梟達ではないだろうか。歴史や世界を変える永劫回帰の<超人>ではないだろうか。

 ……という地の文もジェットコースターの中にいるのかもしれないが。
 それと、7章の新右翼新左翼の直接対決シーンも見せ場だな。不良漫画でグループ同士がやりあうみたいな。でも、武器は言葉だ。言葉の格闘技、ドッグファイト、そしてスペース・ウォーズ。どっかしら時代に対して、手に手を取り合ってその通り!と叫びたくなるものがあるんかとか、どこを切ってもこの国には天皇が出てくる、天皇とは無縁でありえないというのは、だれか左翼の人の本で読んだっけな、とか。まあ、なんというか、本業の現場での論戦はこういうものなんかとか。で、ここでも主人公ツカサはそれらを眺める側にまわる。
 そうだな、小説を通してそうだ。この主人公はまだ若く、まだ自分の確固たるものはない。でも、霊を見る。三島由紀夫、森田必勝、それに、それに……。だから、俺なんだ、と思う。俺が選ばれたんだ、と。そのかすかな、あいまいでもやもやした中にあって……、その先はわからない。この小説は前夜を描いている。ただ、この霊たちが、成就できなかった革命の情念たちの、なんとなく後輩を見守るような、ちょっと見にきてやったぜ、みたいな、そんな描かれ方がなんともいいなって思う。
 まあなんか、そういうわけだけど、副題ともなっている80年代の空気、左右それぞれのタームやジャーゴン、そんなところの醸し出す雰囲気、それにあれだ、忘れちゃいけないのは性の肉弾相打つセックス・シーン。恥ずかしさがあるのかなんかわからんが、こんなんを紛れ込ませてしまうのもライトかしらん。

 カモフラージュネットを失った前戦指揮所のように丸見えの局部に、ツカサの、容赦ない攻撃戦術戦闘機のペニスは、航空母艦から瞬時に離陸して、アヌスの橋頭堡に向かって……