文化系トークラジオLifeを聞いた

 遺伝子は優秀なものが生き残ったわけじゃねえって言うけれども、たとえば競走に特化して優秀さの選抜を行ってきたサラブレッドと同じく、この人間社会も相当な部分において明確な優劣のスケールはあるんじゃねえかって思うのだけれど。たとえば、「今日から競馬はプールで行います」とかになったら、走るのは苦手だけど泳ぎは万全の血統に一発逆転の目は出るんだろうけど、じゃあ競馬が競走じゃなくて競泳になる可能性なんてねえだろって。この世界の環境でも、急に頭のいいやつがバタバタ死ぬようになったり、肉体的に健康で丈夫な人間が生きにくくなるような大回天はねえだろって。むろん、いろいろな基準における優ばかり生きのこっていないところに、生命のリスクヘッジはあるわけだけど、だからといって、やはり遺伝子の優劣は現実のものとして存在するわけで、それを認めると人間社会的に問題があるという前提において平等というフィクションを打つならいいけれど、「根本的に優劣ないよね」ってのは、あまりにおためごかしだと思うぜ。
 ……とか。明け方に思ったりしたのはラジオ聞いてたから。日曜深夜となるとFMがバタバタ放送終了になるけど、AMならやってることに気づいた今日。おまけに生放送をやっていたからお得だった。LIFEというらしい。TBSのテレビはボロボロだけど、ラジオは面白そうな番組多いのな。伊集院のとか、その他ジャンクだとか、アクセスとか。
 それでもって、この日のテーマは「家族」だった。一番気になった意見というのは、「結婚だ子供だって選択の余地のない貧しい人間は門前払いですか?」みたいなメールだかハガキだか。俺はそれを聞いてそう思ったのだ、「お前、自分が門外にいるの気づいてないわけ?」って。そいつが俺より貧しいか貧しくないかわからないが、結婚や子供を作ることが選択肢に入ってない人間なんてのは、門外だってこういう話題からは。
 いわば二級市民、準日本人、俺は自分をそう思っている。この日記を書き始めたころは富める者への憤りにあふれていた(実家を失ったばかりだったので)けど、もう慣れてしまって、そうなっている。そうなると、たとえば家族問題だろうと、少子化だろうと、もう門外の人間からの視線だ、死者の目だ。まったく、俺の関係ないもの。馬券を買っていない競馬。いや、馬券を買う買わないという選択の結果ではないから、たとえば馬券の買えぬ海外の競馬。それを見て面白いかっていうと、自分の利害感情に直接関係ないから、純粋に面白い気がする。
 そこで「準」だの「二級」だの言うところに、劣等感やある種の偏った価値観が見出される、といわれればそうかもしれないが、少なくとも結婚や子供を持つことについて、「ライフスタイルとして結婚や家族をチョイスしないよ」とか「自分の遺伝子を残したくないから、妻と相談して子供は作らなかった」とかいうのと、はなから手札が配られなかったものは別だ、ということだ(準や二級、上下の関係ではないな。二重世界のこちらとあちらだ。そっちの方がしっくりくる)。なにも貧困に限らず、なんだ、すごく非モテ(文化系っぽい?)とか、そういうものでもそうだろう。ここにねたみ、そねみ、嫉妬を見出されても構わないが、それもどこか他人事だ。そして、手札が地球の裏側に配られてしまったのだ、きっと。
 だからもう、結婚したかったとかそうでないとか、どうだったかもわからない。いや、経済的な理由よりも、対人の弱さにおいて、最初から埒外だったような気もする。しかし、物心ついたときから、そんなだったか? わからない。決定的に門の外に出た瞬間があったのだろうか。俺はいつ去勢されたのだろうか。あるとすればそれはたぶん、マッハジュウクンがワイルドファイアーを差しきれなかった、あのとき。あのときからに違いないのだ。あのときに世界の色が変わり、俺はアメリカのスパイ衛星が地球の都市という都市のなかの一番敏感なところに落ちることを期待してやまないような人間になってしまったのだ。