『シッピング・ニュース』/監督:ラッセ・ハルストレム

※ネタバレ上等
シッピング・ニュース 特別版 [DVD]

失意の男が北国で人の暖かさに触れ、自分自身を取り戻していく物語。

http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD32792/

 ウィッシュリストに登録した時点ではなにか意図があったのだろうけれど、送られてくるとよくわからない。俺はケビン・スペイシーそんなに好きだったっけ。いや、違う、ラッセ・ハルストレム、『ショコラ』を見たあとにチェックしたのだった。
 父親にコケにされたまま育ち、自分に自信が持てない、成功体験のない駄目男。妻(ケイト・ブランシェット、出演時間は短いがインパクトは強烈)は寝取られ、死なれ、娘と叔母とともにニューファンドランドへ。ニューファンドランドといえば、「割譲?」というくらいしか思い出せない高校の世界史、地図帳を広げればアメリカの右上。この島の雪と岩と海の描き出す風景が、この映画を下支えしているといってもいい。というか、この風景なしにこの映画は成り立たないというか、逆に言えばそれ以外で弱いところがあると言わざるを得ないというのが感想なのであるが、とはいえ、現実にこの風景が織り込まれて、それが書き割りなどでなく映画にがっちりと織り込まれている以上、腑分けするのは不可能とするべきなのだろう。
 シッピング・ニュースというと、英語のよくわからん俺は、「船で新聞を配るのか?」とか思ったが「港湾ニュース」。神奈川新聞で言えば、「出船・入り船」の欄のこと。主人公の、この僻地の小島での仕事は新聞記者なのであって印刷工からの華麗なる転身(?)なのである。ここで彼は父親的存在である社長から認められる、すなわち人生初の成功体験とも言えるわけだが、ここのところが弱かったと思う。あんまり過剰にボカーンってやることはないが、原作にはあったらしい(オーディオコメンタリーより)、「38年の人生ではじめて認められた」みたいなことを、もっとストレートに描いてもよかったんじゃねえのかとか。
 さらに最後の方に突き進めば、いったいどうして最後の大浮上ができたのか、というところがはっきりしない。これもコメンタリーからだが、あの夢の水中のシーンがもっと長かったというところ、そこが描き足りない。また、このようなシーンで初めて水面から顔を出して大きく息を吸える、と解説されていたけど、ほかの溺れシーンとそこまで決定的に差があったかどうかというとそうでもなく、浮上後にもうちょっと間があってもいいんじゃねえかとか。
 そういうわけで、どこか「淡々と」と「劇的に」の緩急のバランスがついていないという印象はぬぐい去れない。やはりそれは、原作、忠実に再現したら映画の尺にはおさまらないであろうものをフィルムにする、その難しさかもしれない。たとえば、ちぐはぐさでいえば、主人公の家系の話もあって、その過去の話も一つの軸になる。なるのだけれど、現在の主人公がその因業に苛まれるところも弱く、説得力に欠ける。「あの家系の奴か」と言われるものの、言われるだけであって、島の連中は気のいい連中、別に主人公やその娘、叔母に何かいじわるをしたりはしない。また、主人公が血統的に受け継いだ悪い部分に目覚めてどうこうというところもなく、罪のないバカ騒ぎの中でちょっと興奮するくらい。もっと身近な父の悪行にしたって、いったいどこまでというところがある。記者の日常→認められて一歩前進→しかし、家系のことで壁にぶちあたる→それを乗り越えてカタルシス、と、もっと色をつけてもいいんじゃねえかとか。
 色をつけたといえば、恋愛部分については映画らしい盛り上がりをつけたとコメンタリー。はっきりいってヒロイン役のジュリアン・ムーアはそのすっぴんっぷりで俺は轟沈してしまうくらいよかったのだけれど、しかし、主人公の方が自らについて晒すシーンもなく、なんとなく一方通行感じもしてなんとも、というところもある。
 そう、キャスティングはよかった。キャスティングと風景、これ完璧。ジュディ・デンチなんか出てきた瞬間、「そうそう、このおばさんみたいな人、なんか見たことあるわ」とか思って、まあ、同じ監督の『ショコラ』で大きな役をやっていたのに全く思い出せない、人の顔を覚えられない俺がキャスティング云々するのも愚かだけれども(他、愛する『ビッグリボウスキ』のモード・リボウスキがジュリアン・ムーアだったり、『トレインスポッティング』っぽい『ツインタウン』の主人公が出てたりとか)。あと、驚きは娘役で、一つの役を三人姉妹を「悲しみ用」、「楽しい用」、「アクション用」(だったかな?)に振り分けてやらせてることで、監督曰く「完成作品を見たら自分でも見分けがつかない」って、これは事前に知っておくと面白いかもしれない。まあ、わからんが。
 というわけで、はっきりいって悪口を書くってのは楽だな(はっきり言って、すげえ好きな、いいと思ったものについてこんなにすらすら打てません)、と思いながらここまで長くなっているわけだけれど、いいところもほかにもいろいろあって、いくつかのやりとり(ヘッドラインの書き方教室、スペイシーとムーアの会話など)にはきらりと光るところがあって、あるいはもうちょっと港湾ニュースっぷりを淡々と見たかったというところもあるが、それは映画には向いた話でなく、原作を読めということにもなろうか。
 ところで、最後にほんとうにどうでもいいことに気になったことがあって、新聞社のパソコンについて。画面にちらっ、ちらっと映ってて、「おお、なつかしのベージュMacOS9よりずっと前、PageMakerか?」とか独り合点していたのだけれど、意外な展開に。ネタバレ上等で書くが、社長が主人公にパソコンを買ってやれと部下に言うわけで、そこで言ったのが「日本製のコピー品でなしにな」(英語ではクローンと言ってたと思う)と。あれ、待てよ、Macintoshじゃなきゃ駄目だろう。日本製の優劣はともかく、どこ製とかそういう選択肢ねえのでは、と。すると主人公、嫌味な上司に向かってこう言うのだ、「IBMだ。I,B,M」、と。ここで観客は大爆笑らしいが(しかし俺、コメンタリーまでしっかり見てるのな)、あれ、Macじゃねえの? って俺の疑問。新聞のDTPするのにMacじゃねえの? CPUの話じゃないよな、もちろん。 
 ……とは言うものの、こいつらのこだわりは異常だ。家一軒どころか、道の一本、村の一個くらいどうにかして、船一つ探すのにも大枚をはたく(「ヒトラー所有のボート」が本当に1930年代ドイツ製を見つけてきたもの、というのにも驚くが、主人公の買ったダサ船と最後に出てきたNice Boat.、それらの差を感じさせるデザインもすごい……まあ、そういう意味では脚色大ありなのだろうが)。それが、たかがギャグ一つのためにリアリティを無視するだろうか。ひょっとすると、そこまでアメリカではMac環境ということはないのかもしれない。あるいは、ニューファンドランド島独特の何かがあるのかもしれない。そう思うことにしようっと。
関連______________________