伊集院光のシフトチェンジないしギアチェンジについて

 昨日の深夜の馬鹿力聞いてたら、アウトサイダーアートの話出てきて、やっぱそうだよな、現代美術しゃらくせえや、しっかし、たとえばダーガーの展覧会とかにも来てたんだろうか、東京だし、もしそれ見たら俺、やっぱり「あ、似てる、木村カエラ!」って思ったに違いない。
 日曜日の秘密基地を降りるということが、さまざまな憶測を呼んでいるとのこと。J-Waveいいなあ、大歓迎だ、GROOVE LINEの前、朝から全部やってくれってそれは何の局なんだかわからない。
 それで俺、おそらく伊集院の大きな仕事である日曜日の秘密基地は一回も聞いたことない。なにせ、日曜日の一時から五時というと俺が競馬基地外になってるから、あるいはその競馬をおしのけてお出かけしてる時間帯であって、どうあってもTBSラジオを聴くことにはならない。ラジオを録音する機械も持っていない。大昔、週刊文春の連載で小林信彦がやけにほめてるのを覚えているけれど、広く根強く大勢のリスナーもいる番組みたい。
 でも、なんというか、記憶違い、思い違い、気違いだったら悪いけど、伊集院ってゆくゆくは深夜一本でやっていきたいみたいなこと言ってなかったっけ? まあ、それは琵琶湖と滋賀県のメタファーからも明らかなんだけど、仕事縮小ってのは既定路線かなとか思ったりもするのだけれど。
 それで、たぶん、今回のフリートークみてえに、いろいろ出かけたり見たりってのが増えてきて、それでネタをしゃべるってところなのだろうか、とか。たぶん、単なる隠遁、断絶でなしに、自分の望むアウトプットあってのそれだと思うだけど、それはもう性的トラウマによって明かなわけで。
 とすると、少し問題になるようなところがあって、二時間じゃ足りねえんじゃねえかってことで、ハガキのコーナーが圧迫されたり、またなんか釣りの話も仕込んでそうで、それでまたどっか行ったりして、結局トークのはじまりが三船美佳(俺はつのだじろうの描く女の顔みてえだなとは思う)からじゃあ、大変だなと。かといって、深夜ずーっと伊集院ってわけにゃいかんだろうし、AIKOのふりしてオールナイトニッポンをやり続けるのも無理がある。するってえと、なんかインターネットラジオ? ポッドキャストとかかいな? それがラジオというメディアなのかどうか、課金はあるのかどうか、いや、先走りすぎたな。
 でも、ともかく、数年間も聴いてなかったラジオ、すっかり毎週の定番に定着させてしまうこの吸引力、伊集院のラジオは続くだけ続いてほしいと思うのよ、本当に。
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 これが滋賀県のNO-MAか。コンセプトなど読むと「障害者アート」寄りなのだな。アウトサイダーアートを広くとれば、ボーダレスアートはその中の一ジャンルに位置づけられるだろうか。健常者/障害者のボーダーという点で、福祉的な意味合いもあるか。どうもこの美術館ならではの用語というようにも見えるが、さて、まあ、そんな区切りはどうでもいいことで、こういうアートの問答無用なパワー力は非常に強まっていて、とにかく圧倒されるところが大きい。しかし、退屈そうな古典美術や頭でっかちの現代美術の中にもそれと同様のパワーが見いだせることもあって、アーティストと呼ばれる人種は、やはりどこか我々の常識事象の地平面と向こう側とのボーダーあたりにうろついているような連中だと思う。あと、子供、子供のアートと呼べるかどうかわからない何かも、向こうから容赦なく撃ってくることがあると思うのであった。