伊集院光と桜玉吉の虚構と現実と表現と栄光と敗北その他について

 昨夜はややいい加減にポケットラジオ、スピーカーから垂れ流して深夜の馬鹿力。ポーンっとチャクラが開いた、伊集院光桜玉吉って似てるところがあるんじゃねえの? って。それで、俺は俺に対して今さら気づいたのかよって思ったんだけれども。
 まず、出所が、俺にとっての出所が似てるんじゃねえかって思った。伊集院光がいかなるものかと認識したのは、深夜ラジオだ。深夜ラジオの距離感っていえば、まあそういうもんじゃん。それで、テレビ出てんの見ると、少しはらはらするっつうか、なんていうか、微妙な感覚があるわけじゃん。珍しくコントやったりすべらない話に出たりしたら、まるで身内がアウェイで戦ってるの心配するみたいな気になる。
 一方で桜玉吉。これはもうファミコン通信の『しあわせのかたち』であって、ファミ通の妙なファミリアーな感じの中の身内であって、やはり漫画界みたいな括りの中の外側とか端っこにいるんじゃねえかって気がしていたわけで、ファミ通読んでた小中学生時分にもさ。だから、『ブロイラーおやじFX』(日記漫画以外の可能性って意味でこれはもっと注目されるべきじゃね? 結局O村を自分の村に引っ張り込んだ形になったのがすごいけど)で一般漫画誌に打って出たときの玉吉の妙な力みと自意識は、そのまんま従来の玉吉読者が追体験できるというか、少なくとも俺はそういう気になったぜって。だから、玉吉が漫画の側で論じられるのを見ると、いまだに妙に読んでいて居心地が悪いところがあったりするんだよな。
 それと、敗北者であるって点が似てるんじゃねえかって思った。何に敗北したって、それは日々の敗北であって、それを敗北と感じるかどうかは敗北者側の人間、宿命的な負け組の人間にしかわからないような敗北だ(「伊集院光的敗北の豆乳鍋」)。宿命的で、とるにたらない、ささやかな、日常的な敗北、泣き寝入り、泣き寝入りオリンピック。勝ち組貴族に対する一千億年のルサンチマン。ねたみ、そねみ、その他の悪霊について。伊集院のラジオは伊集院のそれと似たようなリスナーの幼少期から現在に至るそれによって構成されているようなところがあって、また桜玉吉の日記漫画もそういったものをいくらでも探せる。伊集院も玉吉もゲイツちゃんみてえにキーッってなることあっても、それをまた語るところに深い自省と敗北の味があるのであるって、なんだかよくわかんねえんだけれども。
 だけれども、「実際のところおまいらどこまで負けてるんよ?」と言われる点がある点が似ているんじゃねえかって思った。世俗的な成功的な面でさ。現代童貞の第一人者の一人(ってもう一人はみうらじゅんしかいねえじゃん)伊集院光だけれども、早い内に童貞捨ててアイドルと結婚してるわけ。さらに、よく茶化しているように、芸能人としての収入もそりゃあそれなりだろうし。桜玉吉の方にしてもさ、やさ男のオタク系どころかその逆で、基本マッチョでどちらかってえと、普通にモテるタイプっぽいわけじゃん。それで結婚して、子供もいて、離婚したけど、それもこのご時世でいけてる(?)部類な面もあって、収入にしたって、もくもく愉快漫画書いてたら舶来のキャンピングカー買っちゃうくらいのもんじゃん。
 だから、伊集院や玉吉にある種のシンパシーを感じてるリスナーや読者の中で、この二人よりそういう意味で勝ってる人間なんてのは、かなりの少数じゃねえかって思うわけ。でもさ、かといって別の意味でこの二人より負けてる人間もいないっつーか、勝ってるのに負けてるそのメンタリティは、勝者の中の敗者ゆえに敗者の中の敗者みてえなところがあるんじゃねえかって、そういうところってあるよなって。
 最後に、それらを表現することによって、自ら傷ついて、暗いところに沈んでいく、その点ではどうだって? そこんところ、そこんところに昨日思い当たったわけ。玉吉の方は書かれた内容とその見せ方(絵の内容その他……? 荒れているというだけでなく。どれだったか、両親とともに親戚の遺品整理とおばさんの銀行預金についてのエピソードがあったけど、あの淡々とした調子がいちばん怖かった、とかいう見方も)、さらには具体的な病名、おクスリなど、病み具合は顕著だ。もちろん、「どこまでが脚色で?」というのはあるんだけれど、やはりその上で、顕れているって見るのは間違いないところでさ。それで、それじゃあ、伊集院は? ってさ。

 というわけでさ、ここんところ伊集院が仕事手じまいしてることについて、俺が前に書いたことはちょっと楽天的すぎるというか、ポジティヴすぎる見方だったんじゃねえかってさ。まあ、今までにも誤爆(自らのリスナーと知らず、有名人をdisってしまう)とかあったりとかさ、たとえば三船美佳一人ネタにするときも、どっかしら実際にテレビ局で会う人間としての遠慮とかも感じられたりしてさ。それでさ、玉吉みてえに、だれかを傷つけてしまう苦しみとかさ、そういうもんがおおいにあってもおかしくねえよなって。ほほえみデブの裏側の黒伊集院のさらに腹に詰まった毒と傷跡、簡単に堪えられるような人間、気にもしないような人間だったら、大同特殊鋼側の人間だと悟られたくらいでへいちゃらだぜ。だから、秘密基地降板とか、手じまい方向のうらっかわには、そういう心の闇があるんじゃねえかって、目の前にいるスタッフの羊水腐ってるって言ってみたら(え? いなかった?)、みたいな、そういうところのダメージあるんだろうなって。たとえば、若手芸人、とくに自分のラジオのリスナーだと、尊敬しているという若手なんかへの過剰なリアクションとかも、そこんところのあらわれだろうなって。ああ、俺、伊集院のラジオ聞くの再開したの最近だから、こんなことずっと直截的に言ってることかもしれねえけど、まあ、小学四年生のころに受けた性的トラウマから完全に説明できることなんだけれども。