宮崎勤について語るときわれわれの語ること

法務省は17日、88〜89年に東京都と埼玉県で起きた連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤死刑囚(45)=東京拘置所収容=の死刑を執行した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080617-00000001-maip-soci

 宮崎勤と俺、俺と宮崎勤。中学に入ってすぐのころだったろうか。俺はたくさん漫画を持っていた。たくさんといっても、こち亀を全巻とか、三国志を全巻とか、そういうレベルでだ。単に、漫画をいっぱい持っているだけだった。だが、この事件を境に、「オタク」のレッテルが貼られてしまう。漫画をたくさん持っているということが、急にネガティヴなことになってしまう。俺がオタクというものに対して距離をおいてしまう、おきたがるのもこの影響があるのかもしれない。一方で、オタというにはあまりにも知識が、消費が少ないという負い目もある。それも確かだ。
 ともかく、まだ小学生の漫画好きのちょっと先くらいの少年に、それだけマイナスイメージを意識させた宮崎勤。その当時、もっと宮崎と年齢も近く、オタクとして確立していた人たちが被った波の大きさは想像できる。もちろん、それ以前から宅八郎などによって……。
wikipedia:宅八郎
 いや、違う。宅八郎がテレビに登場したのはその後か。やはり宮崎勤=おたくのイメージが世を覆ったのだ。もちろん、オタク自体、馬鹿にされやすい対象であるのかもしれないが、それにひどい追加要素が加わったのだ。
 ところで、もしもこの事件が起こらなかったら、今日のオタを取り巻く環境は違ったものになっていただろうか。……何の根拠もないが、少し違っていたのではないか、と想像する。もうちょっと漫画・アニメ・ゲームといったものが、それほどオタ濃度の強くない人にも、あまり意識させることなく受け入れられるようになっていたかもしれない。しかし、一方で、オタクに対する世間のマイナスイメージ、それが引き起こす鬱屈、そういった空気があったからこそ生まれた作品、あるいは世間にすり寄ったからこそ生まれた作品なんてものも存在するのではないか。もちろん、事件を肯定する要素は一つもなく、また、起こった歴史と起こらなかった歴史を比較することもできない。しかし、一つの事件が、一人の犯罪者が文化に影響を及ぼす、そういった例ではないだろうかと思う。
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 ……というわけで、オタク論の本なども読んだこともないのに、やはり宮崎勤というとオタクの話にならざるをえない。当時の現役オタクに比べればたいしたものではないかもしれないが、少なくとも俺もオタクというレッテルに直面し、それとどう距離をとるべきかどうか、それを掴めないまま、この2008年を生きてしまっている。我が身のことなのだ。だから、宮崎勤の精神異常性やその責任能力だとか、彼個人の生い立ちや精神世界だとか、死刑の是非論などの話をする気は起こらない。あるいは、こういう態度こそがオタクにネガティヴイメージを与えようとするマスコミなどの動きとまったく同調・協働していることになるのかもしれない。それでも、もはや宮崎勤は負の偶像。その生身が処されようとも、その亡霊はわれわれの間を歩きまわることをやめない。われわれに暗い影を落としてやまない。われわれってどのわれわれなのかよくわからないけれども。