『崖の上のポニョ』/監督:宮崎駿

▽外から見たら存在がわからないような、雑居ビルの小さな映画館で観た。客席100、客の入り8〜9割、そのうち8〜9割が小さな子供を含んだ家族連れ。上映前の灯りの落ちる前に流れるポニョの歌、はじめは客の子が歌っているのかと思う。やがてあちこちで歌い出す子も出る。ポニョが出れば「ポニョ−」と声が聞こえ、おかしなシーンでは笑い声がもれる、この映画を観るにふさわしいピースフルなヴァイヴスがあふれていた。僕も心の中で「ポニョー、ポニョー」とかつぶやきながら、おかしなシーンでは少し声を出して笑うように見ていた。
▽冒頭の海の中、どっかしらディズニーランドを思わせた。東京ディズニーランドイッツ・ア・スモールワールドに感じるような何か。それは同時に死の世界のにおい。
▽海の魚なのに水道水問題。それより前に、最初に主人公の宗介が「金魚だ」と断言するあたりで「ええー!」と思う。子供だから? でも、この宗介少年は後半で古代魚の名前など知っていて、だいたい淡水と海水の違いを知らない、自然を知らない子のはずでもなく、まあなんでもありだろう。
▽なんでもありっぷりとして指摘されるのは、トキばあさんの「人面魚」。この作品世界でそのツッコミはありなのかというあたりの話は目にしていたけど、実際に目にするとたしかに「ありなのか」という気になるが、まあなんでもありだろう。だいたい、後からNHKの『プロフェッショナル』の宮崎駿の回を録っておいたのを見たけれども、はじめてスタッフに『ポニョ』の概要を説明するにあたり、監督自ら「人面魚」言ってるし。
▽いきなりラストシーンだけど、ポニョママが「半魚人」言ってるのにも面食らった。しかし、正体といっても目の前に魚バージョンでいるわけであって、あるいはまだ画面上に現れていない、怖いリアルポニョバージョンでもあるのかと思ったが、心配のしすぎであった。
▽三形態のうちでは半魚人モードがいちばん好きだな。バルキリーでいえばガウォーク。「ポニョ ガウォーク」で検索するとたくさんできたので、たぶんみんなポニョが好き(よくわからない)。でも、トンネルでは多少こわかったね。怖い、リアルが出てきそうだったもんね。
▽決まりごとのある異世界を維持しようとしていないというか、現実との境界が溶けていて、またそれをそのままでよしとする、まあそんなところも観る前にいろいろ読んでしまっていた先入観かもしれないけれども、それはやっぱり感じずにはおれない。ロード・ダンセイニの夢見る力が弱まるのとは逆に、夢の方が現実に侵襲しているかのようだ。もし次があるとしたら、もっとリアルにこちらとあちらの二重うつしの国になるのかもしれない、とか勝手に思ったりした。

宮崎 明治の文豪が出てくる探偵モノなんてできないだろうか、と考えたりするけど、誰も乗ってくれない。面白そうでしょ? そんな案が自分の中でごろごろ転がっているけど、まだ何も決まってません。

http://qnet.nishinippon.co.jp/entertainment/get/20080810/20080810_0001.shtml

 ……山田風太郎、それとも高橋源一郎原作?
▽あの設定の場所というのが、何か精神世界を思わせてしまうのはなぜだろうか。萩尾望都の『バルバラ異界』のバルバラとか、そういうあたり。したり顔で心理分析の対象にできそうなところ。
▽しかし、圧倒的なのはリアリティ(という場合のリアルがなんなのかよくわからないところもあるけれど)。同行者によれば、保育園の様子などのリアルさが尋常ではなかったと。僕は子を持ったことも保育園への送り迎えもしたこともないのでわからないけれども。
▽でも、あの母親の尋常ではない運転はよくわからない。でも、頭文字Dばりに走り回ってる方が、なんとなくおもしろいのはたしかだろうけど。
▽子供の台詞回しはくせになりそうだと思った。あるものをそのまま口に出すような。押井守とは対極なのかな。
NHKのドキュメンタリの方だけど、登場人物を実際にいるように感じて、彼ならこうするだろうとか、こうは言わないだろうとか作っていくようだ。とすると、一から描いていくものでありながら、映画や写真と同じく「うつす」ことなのだろうな。ところで、「うつす」って、「映す」も「撮す」も「写す」も、「移す」と同じ根っこということらしくて、それはおもしろいと思う。
▽鎌倉の実家、よく、自分の家のぎりぎりまで海水に浸っているという夢、そんなのをよく見ていたことを思いだした。目覚めると、窓の外まで水が来ていて、魚などがいて、そんな夢。僕の家は高台の上にあって、二階の僕の部屋からは、腰越の海岸の方に向かって家がなだらかに広がっているのが見えて、津波が押し寄せてきてもここは大丈夫だとか、そんな想像ばかりしていたせいかもしれない。

▽まとめ的な感想はうまく書けない。ただ、後付けのようにいろいろ考えはしたけど、だいたい子供のように観られたように思う。脳の中でセロトニン再取り込みを阻害していたり、そういう理由があるのかもしれない。