ゲーモクさんの訃報

 縁遠くなったあのあたりの界隈の人で、僕はゲームライターとしてのゲーモクはよく知らない。ただ、たまにネットの日記を読んだりしていた。僕が彼の好きなゲームという世界が好きだったらよかったのに、と思わせるような文章だったと思う。いろいろのジャンルの書き手にそういう人が居て、かれはゲームの世界のそういう書き手だったんじゃないかと思う。
 そうだ、そんなゲーモクさんの日記から、この日記にリンクされていたことがあった。調べてみたら今年の4月だ。

 この映画の感想文にリンクがあった。ゴールデンゲートブリッジから飛び降り自殺する人を撮影しつづけたドキュメンタリだ。この映画への言及にさいして、リンクが貼られていた。
 今は、そして、ずっとプライベートモードの日記に何が書かれていたのだっけ。映画について、あまりピンとこないというようなことが書かれていたような気がする。まったく違うかもしれない。僕はどんなことを書いたのだっけ。

 不謹慎と言われるだろう。死にゆく人間がいかなる心持ちであるのか、生死境界のその一線、一点に興味を持つ。落ちる飛行機の中で書かれた遺書、特攻隊員の手記、死刑囚の最後の瞬間……。それぞれ全く意味合いは違うが、生死の時という意味では共通性がある。俺は正直言って、そこにひかれてやまない。なぜならばまた我々も予定されていないだけで必ず死ぬからだ。絶対に死ぬ。絶対に死ぬのに、五分後に死ぬつもりはないし、十年だって平気で生きて当然という心持ちでいる。だけれど、死ぬんだぜ、死ぬってどういうことなんだ? 死ぬ瞬間のことはどうなんだ。

http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20080430#p3

 ……「死ぬ瞬間のことはどうなんだ」なんて書くもんじゃねえなあ。これを書いた俺は五分後に生きていたし、まだ生きてる。けど、これを読んだ誰か、いや、誰かなんて曖昧なものではない、ゲーモクさんは半年後に生きていないし、十年後も生きていない。生や死を語るとき、ものすごく抽象的なものを扱っているような、そんな気がして、またそれについて読むとき、とても自分とは別物を読むような気になっているけど、本当は全部具体的なんだ、あの映画だって、そういうはずだったのかもしれない。
 ゲーモクさんにとって俺の文章が何かであった可能性はほとんどないと思うけれど、俺にとっては、このなんといっていいかわからない接点の、距離感の人の死というものを、いったいどのように受け止めればいいのか、何かあるような気もするけれども、正直なところよくわからない。だけど、よくわからないけれど、袖ふれあうよりは縁のある人だった。縁の悲しさに、ただ合掌……。