ありがとう王貞治

「勝負師として最後に白星で飾れなかったのは残念。最後の最後まで、野球好きな僕にふさわしい、12回もやって、そういう点では良かった」

http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20081008-416844.html

 こう言い残して王貞治はユニフォームを脱いだ。なるほど、野村克也の言う通り、ひとつの時代の終わりだ。これは素直に拍手をおくりたい。とはいえ、俺の王貞治を見る目というのは、そんなに素直になれるものではなかった。

 二年前に書いたこの感情、これがあった。ただ、今はすっかり抜け落ちている。日本野球界が誇る偉大な野球人というだけだ。
 そういえば桑田真澄を見る目などもずいぶん変わった。ここらあたり、俺が大人になったのか、小さなころからアンチ巨人で染められてきた洗脳が溶けたのかどうか。そうだ、アンチ巨人、この感覚はかなりやわらいできた。それはもう強いものだった。なにせ、父親はもとより、長島茂雄の入団経緯について未だにブーイングをやめない祖母のもとで育ってきたのだ。読売巨人というのは、野球に留まらずこの世の悪の象徴というくらいの意識。もっとも、関東に住むカープファンの少年として、読売偏向報道ジャイアンツ一極集中主義はそう思わせるのに充分なものだったし、今それを肯定するというわけではない。ただ、生理的にまで感じられる嫌悪感、それはずいぶん無くなってきた。それは認めよう。
 おっといけない、今の王貞治を送るのに、巨人について語るのはおかしい。ダイエーホークスで辛酸をなめ、栄光を掴み、パ・リーグを、日本野球を盛り上げてきた王ではないか。ダイエーソフトバンクは好きなの? というところは置いておいて、やはりそれは素晴らしい。そして、最後の試合が皮肉にも最下位争いながら、野村克也率いるチーム相手に十二回サヨナラというのもドラマだ。まったく。
 そういえば、王貞治という人間について、まったく立場の違う人が同じようなことを言っていたので記しておこう。一人は伊集院光深夜の馬鹿力で語っていたエピソードだ。日ハムファンながら世代的にも王選手を別格と思っていた伊集院、仕事のインタビューで初めて会うことになったが、そこで実際に接した王貞治が、一分の隙もなく、振る舞いも気遣いもすべて世界の王だったと激賞していたのである。芸能界にいると、実際に会ってみてがっかりすることも多いのに、世界の王は違ったと。

 そして昨夜のテレビ、シアトルマリナーズ城島健司だ。城島も、憧れの人とは出会った瞬間に尊敬がMAXになるのに、王監督については長く接すれば接するほど尊敬の念が高まっていくという。そんな人は王さんくらいだとかなんだとか。
 このあたりのエピソード、信じてもいいように思える。デーブ大久保も実はすばらしい人物だったくらいだし、王がそうでないはずがない。というわけで、去りゆく王に惜しみない拍手を。現役時代は直接知らないが、間違いなく俺が物心ついて野球を観てきた間も、紛れもなく王の時代とかぶっていた。さらば。