むくのどく

 東スポの競馬欄で「ムクドク」なる馬名を見ました。ムクドリの持つ毒のことだろう。うそです。ムクドリに毒はないと思います。おそらく、達磨が帝に答えた「無功徳」(外部サイトへ)。禅臭い名前の馬なのです。
 ところで、秋月龍みん(みんは王へんに民)の『般若心経の智慧』という本に、次のような内容が記されていました。

『心経』には「独自の文法」があるのです。その一つがここの「無」の字に見られる独特な文法的働きです、「A無B」とあれば“A(場所)に、Bがない”ということを表します。「無」はふつうには“〜がない”の意です、すなわち動詞です。そこを私は“無の○○”というふうに、形容詞的に読もうというのです。

http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20070606#p2

 般若心経ではありませんが、この「無功徳」を「無の功徳」と読んでみていいのでしょうか? 西来の祖師(Man from The East)は「無」ではなく、「無功徳」と答えた。そこに違いのありやなしや。四句を離れ百非を絶し……考えたところでわかりゃあしません。不立文字・直指人心・見性成仏の三本柱でございます。座禅でもしろってことでしょう。道元ならそう言うかもしれません。
 ところで私、「直指人心(じきしにんしん)」という言葉を思い浮かべるたび「直指妊娠」という文字が心に思い立ち、山田風太郎原作のVシネマか劇画でエロ破戒僧がくのいちに何らかの性的な忍法をかける情景がまざまざと見えるのですが、何か功徳はありましょうか?