『巨匠ピカソ 魂のポートレート」展/サントリー美術館

goldhead2008-11-10

 ピカソが来ているというので、手始めにサントリー美術館に行きました。東京ミッドタウンなどは金持ち臭、おしゃれ臭の発生地であって胸くそ悪いのですが、ピカソのために行きました。ただ、以前、国立新美術館に行ったおりに通りがかったのですが、そのときに比べたら人が少なかったように思います。こんなに人がいなくていいのかと思ったくらいです。
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 さて、ピカソです。ピカソの作品群をまとめてを観るのは、大昔、中学生のころ、遠足かなにかで箱根に行って以来です。とくに、ピカソに対して思い入れはないです。ペラのリストをもとに適当に感想を漏らします。

初期〜青の時代〜

 『カザジェマスの死』からはじまります。デスマスクから始まるなかなかすてきな始まりです。そして、青い『自画像』が出てきます。この一点、二点目はなかなかしびれました。なんとなく画家を考える場合、最後の到達点をその人の本質と思いたくなりますが、たとえば「青の時代」を踏み台、未完成時代などと見なすのももったいない話であって、これはこれでもう美術史史上に残るものだと考えてもいいし、「ピカソの中で最高に好きだ」などと言ってもいいように思いました。そういう意味では、国立の方に来ている片目の娼婦頭を描いた『ラ・なんとか』もはやく観たいと思いました。

キュビズム時代の周辺

 『アヴィニョンの娘たち』(今回来てない)の習作などがありました。正直、キュビズム全開のピカソは好きじゃないと思いました。いかにピカソといえども、頭でっかちだと思いました。『帽子をかぶったギタリスト』『口髭の男』など、あまり感じ入るところはないと思いました。ただ、ここの最後にあった、自信満々の『自画像』は実に強かったと思いました。

新古典主義時代からシュルレアリスム

 ここらあたりのピカソは強いと思いました。『二人の水浴者』『牧神パンの笛』あたりの大物の迫力はすごく印象に残るところでした。有名な『海辺を走る二人の女(駆けっこ)』もありましたが、こんなに小さいとは知りませんでした。それと、自分の息子を普通に描いた『ピエロに扮するパウロは、あまりにも可愛すぎてやばいと思いました。萌えの世界に入ってると思いました。少年愛的な意味で、いやらしい気持ちを抱いてしまうほどでした(これなのですが、生でよく見なければ魅力が伝わらないと思います)。ともかく、私にとっては、絵に恋するという、そういうレベルなのでした。この中から何か一作持って帰っていいと言われたら、迷わずこの絵を選ぶと思います(もしももらえたら、速攻で売り払って複製画を買って、それを見ながら遊んで暮らします)。
 ピカソの画力、才力、応用範囲の広さを考えると、萌え絵師にだって、漫画家にだってなれたと思いました。ともかく、スケッチ、エッチングなど見ても、絵を描くこと、線を引くこと、線という線が自由自在にふるまっていくことなど、ともかく線を引かずにはおれない人だったんだと思いました。あらゆる画家がそうなのかもしれませんが、ともかくラインを、動きを、自由自在に、日々遊んでいける、そういう人なのだと思いました。『アクロバットなど、そんな融通無碍っぷりがすごいと思いました。

ミノタウロスと牡牛

 ピカソが自らをミノタウロスになぞらえ、そのエロスとバイオレンスを明らかにしていたのは知りませんでした。まさに女を襲っている『ドラとミノタウロスなどありました。また、闘牛と馬もモチーフなのでした。『傷ついたミノタウロス、馬と人物』などに描かれていた、細かいディテールを持つ馬に、馬好きとしては「良いなあ」と思ったのでした。

戦中から戦後、そして晩年

 晩年はラインも色もさらに奔放に、とりとめもなくなり、ここも個人的にとくに好きな気にはなれませんでした。ただ、最晩年の自画像とされる『若い画家』、これが最後に飾られているのですが、これが圧巻でした。最初の『カザジェマスの死』、若くして老いた『自画像』にはじまり、このなんともいえぬ正直な絵、枯れ果てて、なお幼い絵で終わるという、見え見えの狙いは見事に成功していたのでした。おしまい。

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 帰りは、国立新美術館のときにも寄ったインド人カレー屋にまた寄りました。ランチバイキング1,000円で、すごく放っておかれるのが特徴です。さらに、不機嫌そうな日本人女性店員が加わっており、また異彩を放っていました。帰り道に「あ、もうひとつ同じ値段のカレーバイキングあったんだ」と思ったのでした。また国立新美術館の方にも行くと思いますが、そのとき寄るかどうかはわかりません。