深夜とジャンクフードと店員と

辛いの二つ

 この間の寒い夜の話である。仕事に疲れた、空腹の私はセブンイレブンで肉まんの類を買おうと思った。時計の針は深夜〇時に近かった。私はセブンイレブンに行って、サラダと菓子パンを買い、さらに二つのまんじゅうを買うことにした。深夜と空腹は買い物のたがを外すようである。レジに品物を置く。昼の時間帯には見かけない、中年男の店員が対応するので、「インドカレーまんと……、ピリ辛まん」と言った。少し遠いまんじゅうボックスを見ながら……。
 すると、そちらに向かった中年の男の店員が言うのです。
「カレーと……ピリ辛まん!?」
「はぁぇい」と、眠気と疲れと寒さで「はい」と「ええ」と「はあ」が混ざったような声で返す私。(あれ、ひょっとして品切れだろうか……。)
「辛いのと、辛いの、辛いの二つね!」と店員、なぜかテンションは少し高い。
「はぁぇい、はは」と愛想笑い「はは」二文字の俺。
「あのね、お客さんの場合どっちも辛いからいいけど、昼の混んでる時間だと間違えちゃったりして、大変なのよ。こっちのね、色のついてるやつがね……」
「はぃぇえ、ははは」……などと言いつつ、(あれ、別に俺が辛いの二つ選ぼうともいいじゃねえかよ。客の勝手だろ)などと、すこしむっとする気持ちが湧いてきたりする。
「はい、辛いの二つね」と意に介さず店員。
「ふぁははは」と愛想笑いの私。(あれ、「辛いの二つ」を指摘されたとき、「いやあ、寒いですからね、ハハハー」などと返せば会話が成り立ったんじゃねえの)と今さら会話シミュレートを始めたのです。でも、お釣りを渡されて「はぃ、どーもどもー」などと会釈して寒空、関東平野を寒気が覆い、私はオリオン座を認めた。私はオリオン座しか星座を知らない。

定食

 昨夜のことである。私はすき家に向かった。すき家なか卯かといえば、ランカスターかヨークかといった源平合戦のごとき関係と言えるが、私は以前すき家に忠誠を誓いながら、食券の楽なことでなか卯面に落ちたということを告白する。しかし、この夜は、牛丼の安くなっているキャンペーンにつられたのである。雨の中を歩いた。冷たい雨だった。
 店に入ると、客は誰もいなかった。私はあらかじめ決めておいた「牛丼並、豚汁サラダセットで」と言った。それを聞いたのはチャイナ・ガール店員である。さらに奥に一人、もう一人の中国人女性店員がいる。二人体制で深夜午前〇時、危なくはないのかという疑問はある。私はケータイを取り出して、何かするふりをした。
 あっという間に私の食事は運ばれてきた。店員は「牛丼……ナミデス」と言った。サラダには白くにごった、とろみのある液体をかけた。豚汁には七味唐辛子、牛丼には紅ショウガ、空には星、花には名前、あなたには私。私は、少し後悔した。牛丼といえば飲むように食う私もこのところは並一杯に少し辛さを感じ始めている。三十路、さらにサラダ、豚汁、この時間。ただしペース配分あけは守る。それが私の食べ方だ。小さいころから、それだけを気にして生きてきた。「ばっかり食い」などというのは、食育以前の、その三つ子の魂に関するものであると思う。
 しかし、一人である。すき家を一人占めのこと。こうなると、これは貸し切りではないか。貸し切っている。牛丼並豚汁サラダセットを食べるために、すき家を貸し切りにしているのだ。この栄華はなんであろうか? サルダナパロス王とてこのような贅を尽くしたであろうか? 小室哲哉は元気にしているだろうか? などと、私は牛丼を、サラダを、豚汁をバランスよく平らげながら、ドラクロワの世界に没入していったのです。

 ……と、静寂を破るドアの音。イラッシャイマセの機械音声。そして……。
「うわぁあーい!」
 というオッサンのだみ声、うなり声。王国を侵されたからといって、眉一つ動かさない私。牛丼を食うことをやめたりはしない。こんなこと、このあたりじゃ日常茶飯事だぜ。
 と、新たなる王は、私の右斜め横の三次元的座標をえて、着席した。ドヤ系人。田中邦衛っぽい。酔っぱらっているのか、ナチュラルなのかよくわからない、ふらふらしている。
 「ていしょくッ!」
 二声目の咆哮。飯屋に入って定食を頼む、何の問題があるだろうか。あるではないか、いったい何の定食なのだ。私は事前にインターネットでメニューを確認して、豚汁サラダセットを注文したのだ。何の定食なのだ。
 すでにセットを食べ終えた私は、氷水を片手に様子を窺う。すると、オッサンはメニューを手に取り、指を差して、「これ」と言ったのだ。ボディ・ランゲージ。これならば、言葉の壁も何も超えられる。が、それは悲劇のはじまりであった。おっさんが指さしたのは、「みそ汁朝食セット」あたりであったようなのだ。今は夜。「コレ、朝ノメニューデス。今、ヤッテナイデス……」。呆然とするオッサン。ぽかんと口あけて困惑。「て、定食ね、てーしょく」などと繰り返す。店員も困惑。
 この困惑が伝わったのか、奥からもう一人の中国娘が出てくる。が、これで形勢は二対一である。かといって、事態は好転するであろうか。オッサン、相手が中国人だということはわかっていて、言葉が通じるかどうか自信がないのか、なんか腰が引けている。コミュニケーション・ブレイクダウン。ここは、日本人として私が加わろうか。が、しかし、俺は中国語わからぬし、何よりオッサンが何を言いたいのか解釈する自信がない。王は静観する。応援する。
 すると、後から出てきた店員、おそらく先輩格が、今の時間は牛皿定食があるむねを伝える。メニューを指さす。が、オッサン、わかったのかわかっていないのかわからない。なんとなく腰が引けている。店員、なんとかして、牛皿でいいのかという、最終確認をとろうとする。オッサンは「てーしょく」を繰り返すばかりだが……。やがて、「牛皿、並」というラインで決着した。決着したのち、店員が確認するように、支払いは後なのに、「四百いくらか円です」などと言う。ああ、そうか、ひょっとしたら、このオッサンが朝定食分だけしか持っていないのではないかと、心配したのだな。だが、とくにもう、やりとりも、声もなく……。
 私は支払いを済ませた。わりとはっきりと、「ごちそうさま」と言って、物腰も低く店を出た。傘をさす。雪になってしまえばいいのに、と思う。
 その数時間後に帰宅して、ベッドの上の洗濯済みの靴下を丸めながら、「ああ、あのとき、あの千円札を出したときに、『これ、あのオッサンの分ね』などと言えばよかったのか」などと思う。だが、私は王ではあるがカズではないのだ。そんなことをするのには、まだ人間の格が足りない。魂が足りない。まだ私のあるべきようとはいえないのであった。

 隣の男は次のような注文をした。瓶ビール。高菜明太。マヨ。のり。きちんとした背広を着たサラリーマンである。調べてみれば、ウェブサイト上には高菜明太の単品はない。これは通だ。いったい、上のメニューでどのように晩酌が進むか想像もできない。俺は打ちひしがれて、店を後にしたのであった。