ゴーイング二輪

 川崎重工業は7日、オートバイの最高峰レース「モトGP」への参戦を、08年限りで休止する方針を明らかにした。景気悪化で二輪車の販売が低迷しており、経費削減につなげる考え。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090107-00000074-mai-bus_all

 自動二輪、バイクってもうちょっと見直されていいんじゃねえかと思う。俺は原付を足とした時代もあったし、かなり本気で二輪の免許が欲しかった。弟のバイクの後ろに乗って、その加速感にしびれた。それで、まあそれはともかく、原付に乗っていて思ったのは、いかにも自動車というやつ、そりゃあ四人、五人きっちり乗ってりゃ別だけれども、一人でうろつくには、お前、なんかいろいろ無駄じゃねえのって。タイヤ二つで十分じゃねえのって。まあ、たとえば、次のジャスコまで5,000kmとかいう田舎なら、その距離二輪ってのは無理だろうけど、そこいら、この、なんというか、そこいらの軽い移動なら、原付でいいんじゃねえの。少なくとも、自転車乗れるんなら、こんくらい乗れるだろ。いや、無理かな。ちょっと怖い。でも、慣れたら大丈夫だからね、気持ちよくなるからね。おっちゃんにまかせといたらね。
 でも、「ああ、ガソリンも高いし(なんか戻ってるけど)、維持費も高い。これからはバイクの時代や。よし、VMAX買ってこよう!」という流れにはならなかった。なにせ逆輸入はめんどうだ。そういう話ではない。セグウェイがその座を奪った。わけでもない、同じ二輪でも原動機のついていない、「原動機」ってなんか心理学用語っぽくね? 無意識深層において進行している原動機の調整と葛藤への対処過程が、意識的な日常の経験や行動の基礎に存在している。原動機は心的エネルギーの力動である。すなわち、ここで人間の原動機付自転性が認められる。
 まあ、そういうわけで、俺も自転車など漕いでいる。この横浜の道で、車相手にやりあわねばならん面倒くささなど考えると、原付がほしいとか、免許を取ってまでモーターサイクル・ダイアリーズという気持ちにはならん。車なんてもってのほかだ。なんというか、自動車道が怖くなってるね。別に事故ったことなどないのだけれど、しばらく乗っていないと臆病になる。まあ、ハンドル握ったら握ったで、普通に交通に乗れるところもおもしろいんだけれども、まあそれはやってくる偶然にすぎない。
 でもなんだね、俺がつぎに、それなりのクロスバイクを買ったりする。たぶん、もう、できるだけ車道ということになるだろう。おそらく、ちょっと遠乗りしようとするとなると、そうならざるをえない。かもしれない。そうすると、なかなかやっかいだ。俺は、車も運転していたし、原付も知っているし、おおいに歩行者でもあるので、だいたいなんというか、原付にとって自転車の邪魔くさいこと、その原付が自動車にとって邪魔くさいこと、それぞれの視点も知っているのだ。さらにいえば、本格的自転車乗りにとって、短足がもたもたしているのも邪魔くさいだろう。だったら、やっぱりおとなしく小径車だろうか。だいたい俺が、一人で遠出することなんてあるのだろうか。まったく見えてこない。
 なんの話だったっけ。オートバイ。モータースポーツモータースポーツが衰退するのはさみしいな。二輪の世界のことはよくしらない。オートレースもよくしらない。一度、オートレースも生で見たいものだ。しかし、その前に競艇だろうか。正月、親戚と話していて、「近くのボートピアに行って舟券買っても、ぜんぜん当たんねっすよ」などと言ったら、「うまい人の言うことには、新聞やモニタなどで周回展示のタイムなどはあてにならない。現場でモーターの音を聞かなければいけない。よいモーターは、コーン、コーンと高い音が響くのだ」などと言う。水面にきらめく陽光のちらばり、コーン、コーンと甲高く鳴くモーター。ああ、競艇やりてえ、そう思った。現場で舟券を買いたい、そう思った。今年中には一回行きたい。そう思ったのである。

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もっと行動範囲も広がるのではないか。ちょっとカメラを持ってどっかにサイクリング行ったりするのか。行きはしないのだ。俺は自動車を持とうが、バイクを持とうが、馬を飼おうが、プライベート・ジェットがあろうが、行動範囲の広がらない人間だ。月曜から土曜は徒歩で会社に行き、休みは桜木町の場外付近をうろつくばかりだ。それでも俺は自転車が欲しいのだ。

 これは最初に自転車熱に浮かされていたときの日記。その結果買った自転車、結局のところそれまでの徒歩生活圏から1mも向こうに行かなかった。われながらこれはでたらめにすごいと思う。桜木町にも行かなかった。いや、一回は行ったっけ? ともかく、馬券もケータイで買うようになってしまった。