初雪の日、“雪のひと”を見ること


 けさは明け方からしんしんと雪がふりまして、わたしが出かけるころには、すっかり一面の銀世界でしたよ。亀の橋などはいつものことながら凍りついてしまい、ころばないようにたいへんなものでした。凍結した中村川では、漁師たちが舟の上で立ち往生しておりました。
 寿町をとおりまして歩いているときのことなのですが、わたしたちのぎゅっぎゅと踏みしめるのとはべつの足音がするのですね。ふりかえってみますと、“雪のひと”があるいているのでした。けさ見た“雪のひと”は、ずいぶん輪廓もぼんやりしてしまって、かろうじておちくぼんだ目と鼻、そして口がわかるていどで、あとはなめらかな雪だるまのようです。しん、しん、しん、人によってはしゃん、しゃん、しゃん、という足音で、ゆっくりと歩いたり、立ちどまったりしているのでした。
 その“雪のひと”を見まして、寿町のドヤを宿とする外国人バックパッカーが、ものめずらしそうにしておりましたよ。それで、はでな色のダウンジャケットに雪がふりかかるのも気にせず、デジカメで熱心に写真を撮っていたものですが、ふと「なんだこんなもの」という表情になって、どこかへ行ってしまったのですね。よく見かける光景です。もちろん、“雪のひと”はとくにはなれるでもなく、ちかづくでもなく、ぼんやり歩いたりたちどまったりするばかりなのですが。

 中華街の華僑たちも、はじめはずいぶん興味をもつもので、なにごとか話しかけながらタバコをすすめたりする光景など見るのですが、いまではちらり一瞥するだけで、たいして気をはらわないのですね。ただ、中国のなかでも、寒いハルピンあたりから出てきた人にとってはとくに珍しくないもののようで、故郷でもよく見たものだなどと言うものです。
 “雪のひと”のくわしいことはわかっていないことが多く、「中国なんかにいるわけがない」などと言う人もいます。だいたい“雪の人”の外見もさまざまで、一様に雪や氷のような色をしているのは共通していますが、なかには帽子や服のディテイルがはっきりしているものもいるのですよね。また、今朝わたしが見たような“雪のひと”は、そのような“雪のひと”が、何回か年を越すと「剥けてくる」のだ、という説もあるようです。わたしには判断つきかねますが、ジャンパーの背中にカタカナで「コムサ・デ・モード」と書かれた“雪のひと”を見たときは、おもわずわらってしまったものです。もちろん、“雪のひと”はなんにも気にかけないのですけれども。
 ですから、こどもたちにとっても、“雪のひと”はあまりおもしろいそんざいではないのですね。わんぱくなこどもが雪玉をぶっつけたりしても、まったくへいちゃらなのですから。すぐに飽きてしまって、もっとおもしろいあそびをしに去ってしまいます。逆に犬などは警戒するようで、あまりちかづこうとも、においをかごうとそもしません。
 また、雪中に凍え死んだものが“雪のひと”になる、というのも根強くしんじられていることがらです。“雪のひと”があらわれる瞬間というのを見た人はいないのですが、だいたいは、ドサッと木の枝かなにかから雪のかたまりが落ちたような音がして、ふり返ってみるとそこにいた、という具合です。そのために、「人の背のたかさくらいの中空にあらわれるのだ」とか、あるいは「もっとたかくから降ってくるのだ」とかいわれています。いずれにせよ、凍死してしまった人が“雪のひと”になると、そう言われています。私にはよくわかりませんが、“雪のひと”に男性のおもかげのあるものが多かったり、その服装のかげの雰囲気から、そんな気もしています。ただ、“雪のひと”が多いから、凍死者のなきがらがおおく見つかった、などという話もないようですので、なんとも言えませんね。
 “雪のひと”をめぐる逸話にはいろいろあって、ふだんはお互いも無関心な“雪のひと”同士が、濡れ地蔵のまえにあつまっていたとか、そんな話はしょっちゅう聞きます。また、いつかの冬には、仙台だかどこかから生きわかれになった肉親をさがしてドヤにきた女性が、輪廓ばかりになった“雪のひと”を見るや、「おとうちゃん、あたしよ、帰ろう!」といいながら抱きついたといった話もありました。いずれにせよ、ここらあたりの人たちにとって、“雪のひと”はなんらかの願望をうつしたものではないかとも思えるようです。

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  • 雪中小景……去年、初雪の降った日の日記です。