この時世にものを買うということ

 昨年末から物欲に歯止めがかからない……といっても、俺のような人間に買えるものなどたかが知れている。古着の革コートに、ビジネス用の(それでいてちょっとおしゃれな)鞄に、新しい財布、メガネ……そんなところだ。しかも、そのどれもがウン万円どころか一万ウン千円するかどうかというていどのものだ。だが、俺にとっては買いすぎといえる。
 しかも、買ったところが冗談じゃない。鞄は東急ハンズ、財布は高島屋だ。デフレ人間の俺がデパートで財布を買う。子牛の革をつかった財布を買う。これはどうしたことだろう?
 それは、このご時世だからだ。お先真っ暗、今真っ暗だからだ。「俺はもう、この先、こんな風に、ちょっと好きなものを買うようなことは二度とできないのではないか」という想念だ。
 子供のころは、逆だった。「大人になったらいろいろなものが買える」と、そう思っていた。お金はたくさん貰え、たくさんの物が買えると。成長の神話の中にあった。なにせ、毎年もらえるお年玉は、確実にアップしていっているのだから……。
 が、そんなのは神話だ、遠き日の夢だ。これからの俺は、よりものが買えなくなる、そんなところにいる。ひょっとすると日本という国全体が、その傾向にあるのかもしれない。違うかも知れない。日本のことはわからない。だが、自分についてはそう思える。自分にとってのピークがいつだかわからないが、今日より先の未来にはない、そう言える。
 だったらなんだ、小銭なんか貯め込んでいてどうなるものか、という気になる。なってくる。べつに、たとえば、もし、俺が明日、5万〜7万のクロスバイク(価格は本体以外の必要物含む)を買ったところで、そのぶんだけ長く生きられるのか? この暮らしが保てるのか? ノーだ、ノー。俺は実家をうしなったからわかるが、そういうレベルじゃないのだ。まあ、自動車やなんだというとわからんが、少なくとも入門用クロスバイク購入が人生を狂わせることはない。俺はそう思う。
 ……さて、こんな狂気が国を覆ったらどうなるだろう? お前らみんな、スキーのジャンプ台の上にいるんだ。ジャンプ台の上からさらに上に登るやつはいない。落ちるしかないんだよ。買うならいまのうちだ、もう二度と買い物を楽しむなんてできないぞ、と。一気に消費が増えて景気が回復したりしないだろうか。しないだろうな、たぶん。あと、俺に気に入られた港南台の高島屋は……まあいいや。おしまい。