クロスバイク購入への道〜その3〜

白昼妄想


 翌日の昼休み、俺は俺の買った自転車を取りに行く。太陽は輝き、空は抜けるように青く、雲は白く、気温さえ無視すれば、夏のような日。平日の昼のみなとみらいは、休日のそれとは違う。老いたひとたちがそれぞれベンチに座ってやすんでいる。ピアノの生演奏が聞こえる。ああ、俺は死にに行くようだと思う。美術館の前を通る。噴水の絶え間ない音が、まるで刑場に向かう俺に向けた拍手のように感じる。俺は死にに行く。俺は自転車で死ぬ。車道で転んで死ぬ。そんな予感でいっぱいだった。太陽は輝き、空は抜けるように青く、雲は白く、俺は自転車で転んで死にに行く。
 そんな運命を感じながら、俺の脳裡にはこんな言葉が浮かぶ。
ジャイアント・エスケープ=巨大なる逃避>
 巨大なる逃避……、それは死だ。死そのものだ。それは生だ、俺の生だ。
 ……いつだったか、俺がニートそのものであったころ、母とめずらしくシリアスな会話をした(おかしな話だが、ともにおしゃべりなのでニートのひきこもりだろうと、会話自体は絶えなかった。変な余裕のある親子もいたものだ)。「あんた、逃げてばっかりで人生どうするの?」。俺は、プレイステーションの野球ゲームをしていた。PSワールドスタジアム。俺がゲームに対してうわのそらになればなるほど、俺の赤ヘル軍団はホームランを打ちまくった。前田が、江藤が、金本が。みるみる二桁得点になった。あのときの俺は、世界中の誰よりもワースタがうまかった。俺はいまでもそう信じている。そして俺のメイン脳は母に対してどう答えたか。適当に茶化したように思う。しかし、内心こんなことを考えた。「逃げて、逃げて、逃げまくればいいじゃないか。ツインターボオールカマーでどうしたか知ってる?」と。
 ジャイアント・エスケープ。偉大なる逃避。さらば人生、俺は行く。

ヘルメット

 俺はヘルメットがほしいと思った。ダンプカーの不可抗力、暴力的コンクリートに叩きつけられる俺の頭部、砕ける頭蓋骨、飛び出す脳味噌。俺は俺の脳を拾い集めなきゃ、と思う。思った刹那すべてが暗くなる。そんなのは嫌だ。死ぬ刹那はもっとまともななにかを考えていたい。俺の最愛の女が寝取られる夢を見ていたい。俺は死ぬのにヘルメットを買うことにする。原付に乗っていたときも、法律などは関係なく、ともかくヘルメット無しで乗ることなんて考えられなかった。
 一番安いのは、どれだ。それでも五千数百円する。しかし、15%オフキャンペーンもある。しかし、どれも軽いな。あれ、一番安いのには、頭の後ろに赤色ランプがついている。ランプだよな。光るのかな。どうやって光るのかな。と、カウンターに店員さんが一人いる。昨日いろいろ説明してくれた人ではない。とりあえず聞いてみる。
 「あの、これって光るんですか?」。「押すと、光ります」と、赤色面をぐいっと押すとピカピカ。なんと、そのものがボタン。「あと、いろいろあるんですけど、何がどう違うんですかね?」。と、ヘルメットコーナー前に。
 曰く、ブランドが違う、そして、なんとかマークがついているとレースに出られる、とのこと。いや、レース関係ないし。日常使いで光るなら、それでいいじゃないか。それが一番安いというのはありがたい。それにする。その店員さんに、自転車を引き取りに来たむねを伝え、ついでにキャノンデールのトレイルツールとどこかの潤滑油を買う。

納車

 レジから戻ると、我がR2が出てきている。空気の入れ方を説明してもらう。バルブが普通じゃない。仏式だ。仏式の葬式だ。目の前で実演してくれる。つづいて、前輪の方をやってみてください、きっとわかります。と、俺のターン。ああ、俺は、こういうとき、話を聞いているようで聞いていない。「あとから、なんかネットか本でマニュアル見ながらやればいいや」とか思ってる。ひどい。で、もたもたしながら、また教えてもらいながら続ける。汗が出てくる。内心、「みのもんたの貧乏脱出大作戦って番組のしょうもない店主たちは、まさに俺の生きうつしだった」などと思う。そしてさらに難関が空気を入れるその行為。メーターの表示が120になるまで押すべしとのことだが、最後の方はかなりきつい。こんなにタイヤパンパンなんか! と、おどろく。
 ほか、ギアやタイヤの丈夫さ(空気圧がしっかりしていれば、歩道くらいなら問題はない、とのこと)について質疑応答などする。「やっぱり、車道に乗るってのがこわいですね。前に原付乗ってたんですけど、自転車でははじめてで」などと言うと、「原付よりスピード出ますよ」などとおっしゃる。ちょっと待て、そりゃあ言い過ぎじゃねえの。まあいいや。もうここまでだ。お礼を言って、俺は店内自転車を押して普通の入口から出る。
 ……おい、どうするよ、と思う。

クロスバイク〜はじめての走行」につづく。たぶん。もうこの日記、自転車のブログになるかもしれん。すごく健康的、ヘルシー、ライフ。