ひきこもるとき、ひきこもれども、ひきこもれ

ひきこもりだったころ

 吉本隆明の「ひきこもれ」(だよね?)。ずいぶん前に読んだような気がする。

未来のある人には冷静な自己反省というか、自己相対化というか、内省する時間を持ってほしい。ひきこもるくらいでちょうどいいんです。

 俺もいわゆる「社会的ひきこもり」だった。カレンダーのない時間なので、何歳から何歳の間、何年くらいという感覚すらない。そんなに長くはないが、長い夏休みというほど短くはない。
 その間に俺は冷静な自己反省をしたか? 自己相対化をしたか? そんな覚えはない。ただひたすら、昼寝て夜起きてゲームをしたり、漫画読んだり、ニューズグループからきけんなエロ画像をおとしてオナニーしたり、あとは競馬に行ったりしていた。親兄弟とはまったくよく喋っていた。まるで何事もないようだった。シリアスな人生についての会話は、たぶん一度だけだった。親があえてそうしてくれたのかもしれない。父親の本棚の一つは全部吉本隆明で、吉本隆明がこういうことを言うのでああいうのだったかどうかはわからない。ただ、大学へは一年浪人して、さらに一年留年して二十五くらいから働けばいいと、俺が小学校くらいのときからよく言っていたし、俺もそのつもりでいたのだっけ。
 それはともかく、別に俺はひきこもり経験によって自己反省だの自己相対化だのをしたかというと、どうもそんなことはないように思う。「ああ、俺は従来ひきこもりたく生きてきたから、幸いにしていまそうしているのだな」とくらいにしか思わなかった。
 ただ、そこで俺の、人間が嫌いだ、とくに人間の集団が嫌いだ、組織が嫌いだという、組織の中にいなければいけなくなる自分が嫌いだという、その思いは強化されたように思う。今、思う。そのときは、そんな風に言葉にしなかった。だから、嘘かも知れない。でも、自分史ってのは、あるいは人間の歴史のある部分ってそういうものかもしれない。寺山修司も「実際におこらなかったことも歴史のうちである」って誰かの言葉をよく書いていたと思う。ちょっと違うか。
 それで、ともかく、俺は人間の集団や組織が嫌いだ、苦手だ、と。あんがい俺は俺のこと好きで、俺は俺でいいし、俺とあなたがいるのもいいけれど、三人、四人と増えていくとたまらない。俺はもう、その集団の中で何をしなければならないか、どう振る舞わねばならないか、さっぱりわからない……のではない、わかりすぎるというと言いすぎだけれども……、考えすぎてしまう。にっちもさっちもいかない。もっと、ものすごく機械のように、部品のように扱われるならばいい(おそらく俺の夢想する刑務所/たぶん現実は違う)のだけれども、わりあい自由な人間関係、これには参る。たとえば学校とか学校とか学校とか、会社とか、サークルとか、ボランティア団体とか。
 

だから俺は右翼にも左翼にもなれない、だから肝心の裏切り者になれない

俺は裏切り者になりたい - 関内関外日記(跡地)

 そうすると俺の「裏切り者になりたい」などという願望は、どう考えても達成できない。まず仲間に、同志になれないからだ。これは残念だ。俺は決して銃を手渡され、重大な局面に立ち会えるような人間にはなれない。なりようがない。だから、俺は俺の役割は、実のところ以下のようなものだろう。

 ……同僚の兵士たちが敵国の罪なき女子供を陵辱する。それに加わる勇気も止める勇気もなく、関係と思おうにも、それができないのをわかってい。しょうがないので、扉の外を見張るようなそぶりをして、心を閉ざしてタバコを吸っている俺。それを繁みの中から覗くレジスタンスたち。そう、それがまさに反攻の狼煙、最初の標的。真っ先に鉛弾食らってぶっ殺される俺。銃撃戦の中、踏みつけられる俺の死体。

 ……革命の戦士たちの意気はいよいよ戦いに向けて昂ぶっていた。しかし、その中において、今後組織の邪魔になりそうな人間がいる。いつの間にかついてきたあいつは、口先ばっかりで威勢のいいことを言うが、信念や覚悟が足りない。ああいう薄っぺらい人間が簡単に敵に味方を売る。あるいは、もうスパイかもしれない。……などと目をつけられて、いきなり首を絞められて殺される俺。長い戦いののち、誰か歴史を暴くものがいて、どっかの湖の近くに埋められているのが見つけられる俺の死体。あるいは見つからない俺の死体。

 で、死ぬとき、「あれ、俺どっか間違ってたんだろうか。まあいいや、ピース」とか思うの。

でも、俺の勝手な個人主義は、俺が壁でなく卵であることなど何も保証しはしないのだ

 ……というようなことについて、なんか今朝弾けたような気がしたので書きたかったけど、時間が経って逃げていったので、またいつか。金子光晴のおっとせいの一部でも引用しておく(手元に本がないから、こちらのページから孫引きさせていただきます)。

だんだら縞のながい陰を曳き、みわたすかぎり頭をそろへて、拝礼してゐる奴らの群衆のなかで
侮蔑しきったそぶりで、
ただひとり、 反対をむいてすましてるやつ。
おいら。
おっとせいのきらひなおっとせい。
だが、やっぱりおっとせいはおっとせいで
ただ
「むかうむきになってる
おっとせい。」

 ……でも、俺は向かうむきになることすらできないんだらう。ただ、いづれにせよ、「向かうむきが正しいのだ」とかの號令で、向かうむきのおつとせいばかり揃へられたような氣にさせられて、そつちへ向かつて行進しろしろとか言はれるのは眞つ平御免だね。どちらにせよいやな汗をかかなきやいけなんだつたら、俺はできうるかぎり樂な方を選ばせてもらふよ。