自然あるいは人間以上のものと人間、そして反対世界について

雨降ってると濡れるじゃん。でも俺、空に仕返しできねえじゃん。これって不公平じゃねえの? それで布団から出たくないって、合理的な判断ではある。
おはよう おはよう おはよう

 と、俺は今朝、布団の中からはてなハイクに向かって発射した。
 雨が降るということの、デメリットだけ見た。もちろん、その裏には「雨は恵みである」という信頼がある。その上で、あえて憎まれ口を叩いている。ツンデレというのかもしれない。
 逆に、だ。逆に俺が、俺たちが自然に感謝したいと思ったとき、またそれもかなわないことだ(→「自然保護/保全/復元こそが恩返しであり、形になる感謝である」という考え方は保留してどっかにしまっておく)。あくまで気まぐれだ。局所的には、局面によっては、たとえば日本の自然も日照りとか洪水とかで人を殺す。でも、総体的、総量的、全体的、どんぶり勘定的には、おそらく恵みの汁だくだ。
 一方で西洋だ。西洋というか、中東の一部で生じた思想、宗教、考え方だ。あちらの方は、おそらく、たぶん、どんぶり勘定的には、どうもあんまり恵まれていないところで幼児期を過ごしたんじゃないかという。そのせいで大人になれたと言う人もいるかもしれない。ともかく、空から雨が降るどころか、「マナ降ってこねえかな」(「空からマナが降ってきた」……マナの正体知ってました?)みてえなところだ。だから、どっか心の底で自然を信用してねえところがあるかもしれない。西洋先進諸国の自然保護意識の高さの裏には、ツンのツンがあるやもしらん。
 ……などというどんぶり感情論によるトンデモ文明論はとりあえず捨てておくとしても、やっぱり人間、それぞれのたまたま産まれ育った環境は違うのだし、お互いがお互いにそこから生まれてきたもののいいとこどりでもしようじゃねえかとか、そういう面もあって、ともかくどちらが正しいとか間違ってるとか好きとか嫌いとか言い出したのは誰なのかしらって話でなし、互いに環境が違うというところをわかり合って、それを前提に話し合っていけば、いいんじゃねえかと思う。
 わかり合えないから困ってるんだろ。とりあえず人間による人為的、人工的、政治的な話は置いておいて、自然環境とかそういうもの(そういうものが人為・人工・政治と無縁にできないかもしらんが)にしても、砂漠育ちと密林育ちでは自然観も世界観も人間以上のものに関する観も、なにも異なる。話で聞いてわかるものか。
 じゃあ、交換留学しよう。砂漠で生まれたやつは密林におくりこまれる。海辺のやつは山の上に、山の上のやつは海辺に。暑いところのやつは寒いところに、寒いところのやつは暑いところに。そこで生きて、暮らす。どのくらい? 一週間? いや、人生の半分。
 ……というのはなかなか物理的に難しい。時間的に難しい。そこで、ITだ。IT革命だ。夜、寝るときにヘッドセットをつける。それによって、寝ている間、夢を見ている間、砂漠で生まれたやつは密林におくりこまれる。海辺のやつは山の上に、山の上のやつは海辺に。暑いところのやつは寒いところに、寒いところのやつは暑いところに生きる。目が醒めると、密林で生まれたやつは砂漠に戻る。山の上のやつは海辺に、海辺のやつはに。寒いところのやつは寒いところに、暑いところのやつは暑いところに戻る。やがてどちらが現実なのか、などという問題は霧散する。おたがいに、おたがいが寒いから犯した過ち、暑いから犯した過ちの共犯者になって、にやりと笑って、シリアスな殺し合いなんかしなくなる。ITはとてもいいと思った。
 そんなSFを思いついた雨の朝だった。
 おはよう おはよう おはよう

関連______________________

  • 夢無題……帰るところを間違える魂についての夢。たぶん同じ想だ。
  • 夢のメモ……ぜんぶこの夢に帰結すると思う。俺にしかわからないビジョン。