誰かが彼らをでくのぼうにしてしまったのならば

だから「考える」というときに「模範解答」を条件反射的に連想して身構える態度は見ていてゾッとする。
そこには考えるプロセスと知的な冒険、あるいは失敗への忌避がある。
誰だよ、彼らにこんな態度を仕込んだやつは。

いまどきの学部学生をクソだと思う一つの理由 - あらきけいすけの雑記帳

 なんかこのあたりの流れを読んでいて、どっかでいつか読んだ本のことを思い出した。なんだっけ。この日記検索したら出てきた、若桑みどりという人の『都市のイコノロジー』という本だった。

考えてみれば、戦前、戦後を通じて教室といえばぞっとするほどの画一的な空間でありつづけた。この一方的な空間のなかでは、主人公は教師だ。学生は微小な粒子からなる集合体だ。粒子が全体に責任を持てないのはあたりまえだ。小学校、中学校、高校を通して徹底的に集団の粒子にならされてきた者が突然きみは威厳にみちた空間的に独立した存在だなどと言われても白けるほかない。

『都市のイコノロジー』若桑みどり - 関内関外日記(跡地)

 これだな。つーか、職場にある本なら、そこらにあるか。あった。うーん、この章のタイトルは「私語の世界」。どちらかというと、大教室における私語がテーマ。でも、遠からずという気はするがどうだろう。というか、初出はわからないが、どうも今から20年前くらいの本だ。今現在の学生たちの話ではないから、俺の狙いははずれているかもしれない。でも、最後の締めは、なんかまた近いような気がする。

 私には、かれらのはったバリアがわかる。バリアがわかるのは動物的な直観かもしれない。エネルギーを使うこと、傷つくことをなによりも恐れている。むしろ弱く感じやすい魂がその奥に感じられるのだ。すでに十分に傷つけられた、十分に被害にあった魂がある。傷つくことを恐れないでいるには、もうあまりにもかれらは老いたのだ。
 かれらはこれ以上めんどうなことにならないようにじっと自分の世界を守るだろう。挑戦することを禁じられ、情況に順応することだけを教えられた、特異な二〇歳をわれわれは前にしている。このような二〇歳を私は外国で見たことはない!

 まあ、俺は高卒なので大学やそれ以上のことは雲の上すぎてわからんが、小中高の中で、少なくとも俺は上のような弱い魂の人間であり続けたし、そうでなくなろうというきっかけをついに得ることはなかった。もちろん、それをすべて教育のせいにすることなどできないが、少なくとも、俺は、問題集の答えの冊子を覗き見してもいいから、模範解答を答えることだけに執着するようなガキだったし、たとい自分が自信満々の回答を持っていても、先生に当てられないなら、それに越した幸運はないと、そう考えて生きてきた。その性向が変わるような出会い、きっかけ、教育というものには出会わないで終わった。それで、完全にスポイルされたでくのぼうとして、ここでこうして息をしているのだ。
 しかし、いつからスポイルされたのだろうか。これはよくわからない。俺の生まれもっての性格、という気もする。でも、上の本のように、あるいは、レベルは違えども、どうも背骨なしの人がいるということは、ある程度、なにかしら共通する、あるいは教育の過程などで、そうなってきたところがあるのかもしれない。うーん。あ、でも、俺が最初になにか失った瞬間は、実にはっきりと覚えている。俺の中の、子供の絵が死んだときのことだ。

 俺のそれは幼稚園の頃だった。その日は参観日で、たくさんの親が来ていた。お絵かきの時間だ。お題は「木」だった。俺は白い画用紙に、気持ちよく筆を走らせた。森をイメージしたのか、色んな色の緑色で、ぐしゃぐしゃと円を描いたり、塗りつぶしたり、それはとても気持ちがよかった。時間の終わり頃、友だちのお母さんが近くに来た。自分の子の絵について何か言い、そして、俺の絵を見た。一瞬、間をおいて「…森なのかしら、元気があっていいわねぇ」と言った。俺は、一瞬の間を見逃さなかった。俺は間違ったことをしたのか、と思った。そして、みんなの絵が教室の後ろに並んで貼られた。あそこまで形をなしていない緑色のぐしゃぐしゃは俺だけだった。「上手、上手」と誉められているのは、断面図みたいな幹があって、まわりにもこもこと緑の葉をつけたようなやつだ。俺はそこで求められているものを知った。そして、俺の「子どもの絵」は死んだのだ。

来たれ、汝、芸術の子ら - 関内関外日記(跡地)

 たぶん、これで俺はもう「まだ汚れていない怪獣」(Unspoiled Monster)ではなくなってしまったのだった。この世界の中に怪獣のままに大勢の人間を教育するすべがあるのかどうか、そうすべきなのかどうかはよくわからないが、もしも俺よりも度胸があって聡明さのある人が、のびのびとスポイルされないでよい成長を遂げられる方策があるのならば、俺はそれを支持するだろう。そして、俺のような脆弱な人間には、居心地のいい地球幼年期のゆりかごを用意してくれ。そこでずっと眠らせてくれ、頼むから静かにしてくれ。

―もし何でも出来るなら私は、私たちの惑星、地球の中心に出かけていって、ウラニウムやルビーや金を探したいです。まだ汚れていない怪獣を探したいです。それから、田舎に引越したいです。フロリー・ロトンド。八歳。
 可愛いフロリー。きみが何をいいたいかよくわかる。たとえきみ自身はわからなくても。まだ八歳のきみにどうしてわかるだろう?

『叶えられた祈り』トルーマン・カポーティ/川本三郎訳 - 関内関外日記(跡地)