さらば「諸君!」よ

 保守系の代表的なオピニオン誌である月刊「諸君!」の休刊を、発行元の文芸春秋が決めた。5月1日発売の6月号が最終号になる。

http://www.asahi.com/culture/update/0302/TKY200903020297.html

 わたくしが「諸君!」を愛讀してゐたのは、何時の頃の話になるでせうか。多分、中學生の頃だつたやうに思ふ。その頃の、所謂厨房の流行りと言へば「ヒロスエ」か「ゴーマニズム宣言」かといふ有り樣であつて、わたくしも其の時りうから外れることなかつたのである。元より、親の買う文藝春秋週刊文春を読んでをり、「諸君!」への敷居は低かつた。父親は新左翼あがりでありながら、朝日的言論は嫌ふやうであつて、それでも週刊朝日朝日新聞も購讀してゐた(二世帶住宅の祖父母側が買うといふたてまへで)のだけれども、マア、其れでも、流石に自分の買う「諸君!」はどこか小馬鹿にするやうであつて、手に取つたりはしなかつた。
 ああ、しかし、ネット上で偶になまへを見掛ける事はあつたけれども、つひに斃れるか、諸君! 嗚呼、諸君!、諸君!よ。在りし日の君を覺えている。産經の出す「正論」よりも薄くて、カラーページも無く、何とも素樸の風情であつたことか。彼方が競馬エイトであれば、こちらはホースニュース馬といつた對比、そして、わたくしは恆に見窄らしい側に立つのです。いや、紙の質が言論の質を左右することがあつて良いといふ話はないのです。たとひ身成が目立たぬからといつて、見くびつてはならんのです。それは、ブログであるとかテレビであつたとしても同じ事だ。唯、だからといつてデザインが見せ掛けだけの價値の無いものかといへば、決してそのやうなことは無いのであります。しかし、今は其れに触れますまい。
 マア兎も角、厨房である自分が、「諸君!」などといふ親爺風の雜誌を買ふ時の、背伸びしたやうな、あのこそばゆいやうな、ちつぽけな自尊心といふものは、今思つても恥づかしいやうでいて、少し可愛らしいとも思ふ。少なくとも、エロ本を買ふ自分よりは、胸を張つて、だうだうとした姿であつたと云へる。
 しかし、餘り永く諸君!とのつき合ひは續かなかつたのですね。簡單に言へば、飽いたといふ。「丸」なども一時期よく讀んでゐたが、矢張り何時讀んでも同んなじといふような、そのやうな氣になつてくる。それだつたら、まだ「GON!」など讀んだ方が良い。右といふならば、見沢知廉ならやたかしの「ケンペー君」が掲載されてゐるぢやないか。
 さうだつた、未だ私は若く、もつともつとエロい物が欲しかつた。大船のあの書店から、俺はどれだけのエロい本を買つたことだらうか。エロいもの以外に金を遣ふ意味が分からなかつた。今以てわからない。嗚呼、若し彼の時、私が「淑女の雑誌から」ではなく、「紳士と淑女」を取つたのだつたら、一體自分は今、どんな紳士に成つてゐただらうか。諸君! 諸君よ! 其の呼び掛けに應へる事出來る人間であらば……。
 斯やうな假定等、幾らしてみた処で詮無き事に相違ありませぬ。唯、諸君!は時代の流れと共に消え行き、若き日の私は喪はれ、今や何だかエロいだけのおつさんが此処にかうして殘ついている(さう言ひつつ、エロ本を碌に買つていない俺は卑怯者だ!)。右も左も在りはしない。あはれな身を曝して、獨り溜め息をつく。諸君、諸君よ、あの頃の諸君よ、諸君らの青い炎は未だ消えてをらんかね? 諸君、諸君らつて、一體たれかね?