マニ車を買う

マニ車は円筒形で、側面にはマントラが刻まれており、内部にはロール状の経文が納められている。大きさは様々で、手に持てる大きさのものがあれば、寺院などでは数十センチ、大きいものでは数メートルにも及ぶマニ車が設置されている。チベット仏教の場合はマニ車を右回り(時計回り)に、ボン教の場合はマシモ車を左回りに回転させると、回転させた数だけ経を唱えるのと同じ功徳があるとされている。

マニ車 - Wikipedia

 俺は藤原新也の『西蔵放浪』を読んで以来マニ車がほしくてたまらなかった。なんという、なんという、器具なのだろう。マニ車を回せば回すほど、経を唱えたことになる。功徳がたまっていく。「そんないい加減な?」と思いますか? ひょっとしたらそうかもしれない。でも、俺はそれでいいと思う。とてもいい。回せば回すほどだ。チベットの人は、生涯ですごい回数を回すのだろう。それで何にもならないはずがない。それに、「南無阿弥陀仏」と唱えればよい、という宗派だってあるじゃないか。マニ車を回す。功徳がたまる。それで浄土へ行き、成仏できるのか、あるいはまた、来世なにかよいものに生まれ変われるのかは知らない。でも、マニ車があるとないのではあるほうがよいし、どうせなら回しているほうがよいと、俺はそう思うのだ。

 俺はマニ車を買った。恋い焦がれていたマニ車だ。カーマニアが「ついに憧れのアメ車を買ったぞ」くらいのよろこびといってよい。つつみを解いたら……、注文したのと違った(卓上用だった。が、これも縁と思って、結局それも買い取ることにした)。ので、また一日待って到着。それが、このマニ車だ。この回り具合。ああ、たまらん。これを、右回り、右回り、右回り。利き腕の問題が、左回りにしたくなるが、それではお遍路さんを逆順で回るようなことになる。回れ、回れ、回れ、白蓮華白蓮華白蓮華、宝珠、宝珠、宝珠、よい、よい、よい……。
 俺はいつかチベットに行くだろうか。行くことができるだろうか。おそらく行くことはないだろう。でも、だからこそ、チベットになくなってもらっては困るのだ。
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