俺かと思ってたらBOTだった。うれしい。そんな未来へ。

twitterでずっと仲良くしていた人がbotだった - Cheshire Life

 まだインターネットというものが曖昧模糊としていて、その広さも深さも測りかねていたころ、「サイバースペース独立宣言」に無限の未来を感じていたころの話だ。父親が買ってきた、誰かアメリカ人のインターネットの本に、次のような言葉と、それをイラストにしたものを見つけた。曰く「モニタの向こうにいるのは、犬かもしれない」。
 これは、俺がネットをしているとき、ほとんど常に頭にある。モニタの向こうでAという意見を言ってる人間は、実は反Aの人間かもしれない。反目し合っているBとCという人間は、実はDという同一人物かもしれないし、犬かもしれない。
 だからといって別に、不信と不可知の深淵に陥っているわけではない。たとえば、俺がAmazonから買い物をするとき、Amazon相手に金を払えば本が送られてくるということについて、疑って疑ってそれをなさないということはない。言い換えれば、Amazonで買い物することには賭けられる。当たり前の取引、ローリスク・ローリターンとされる賭けだ。俺は万事にオッズがあり、払い戻しがあると信じる。ニセ科学やなんかについても、科学の知識はつけようにないから、あくまでリスクとリターン、それを見るしかないと思っている。そして、それを学べるのは博打という冷徹な世界なのであって、小学生から馬券でも学ばせれば、リテラシー超アップすると思う。マジ。
 話を戻す。いいね、もう人間のようにふるまうBOTというものが、このネットの海を徘徊している。たまらん。シミュラクラやレプリカントはまだもうちょっと先かもしれないが、言葉だけならもうすぐだ。そして俺は、俺は、BOTになりたい。

俺は日記がほぼオートマチックになるまで書き続けたい、すなわち何か個人的なできごとが起ころうと、世をにぎわす話題があろうと、「前に書いたな」で覚え書きできるようになればいいと思っているのだ。

http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20090123/p2

3年前の10月1日だ。なんということだろう、ほとんど同じことを打っている。これはすばらしい。私は私を自動化するために日記を書いているんだ。わかるだろうか? だからこれは、とてもよい兆候なのだ。まったく。

http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20090123/p2

 というか、だいたいもうBOTになれるんじゃないだろうか。だいたい、書くことなんて決まっているんだ。競馬と野球とお笑い番組あたりについて、東海林さだお澁澤龍彦村上春樹近藤唯之、高橋源一郎鈴木大拙ながいけんあたりの本から適当に言葉使いと単語を見つくろってつなぎ合わせて、最後はわけのわからん仏教話か、馬券攻略法に落とし込んでいけばいい。写真も、あんまり遠くにはいかないから、そのあたりで誰かが撮ったもののGPS情報付きのをあわせればいい。馬券については、おおよそ負けているけれども、だいたい75%くらいの回収を演出すればいい。そうしたら俺は、もう日記を書かなくていいかもしれないし、俺は死なない。はてなという会社が二十年後あるかどうかはわからんが、こういったサービスはどこかが引き継いでくれるだろうし、もう100年でも生きていられる。100年後にも、こんな書き込みがされるわけだ、この日記に。

「あー、春先からずっと当たらん。前にもウオッカ戴冠を目の当たりにしながら(テレビで、だけれども)、買えなかったんだよな。清水成駿が本命を打っていたのにさ。それでまた、ごらんの有様だよ。次はいつになるんだろうか……?
http://d.hatena.ne.jp/goldhead/210906002

 とかさ。それで、100年後の暇なやつが見て、「ん? ウオッカ?」とか思うわけ。でもって、キーワードになってる「ごらんの有様」の説明読んで、「何だよ、魔法少女アイ参って、いつの時代よ? こいつぜってー死んでんじゃん。BOTもいいところじゃねえの!」とか思うの。すごい楽しい。それで、宇宙人とか来て、砂漠の真ん中になんかサーバ一台だけ置いてあるの見つけて、「けったいな星やね」とか言って、はてなスター押すんだよ。たまんねえな。
 というわけで、はてなはとっととはてなBOTサービスを開始するべきだ。そして、気づいたら俺も死んでいるし、それでもあなたのBOTが気づかないふりしてくれたら、それでいい。おしまい。