カーネル・サンダース像引き上げに人間精神の夜明けを見る

 ある夜、ひとりの高僧が、兼乗の夢まくらに立ち、「我むかし唐に在りしころ、わが像を刻み、 海上に放ちしことあり。已来未(いらいいま)だ有縁の人を得ず。いま、汝速かに網し、これを供養し、功徳を諸人に及ぼさば、汝が災厄変じて福徳となり、諸願もまた満足すべし」と告げられました。
 兼乗は海に出て、光り輝いている場所に網を投じますと一躰の木像が引き揚げられました。
 それは、大師の尊いお像でした。 兼乗は随喜してこのお像を浄め、ささやかな草庵をむすんで、朝夕香花を捧げ、供養を怠りませんでした。
 その頃、高野山の尊賢上人が諸国遊化の途上たまたま兼乗のもとに立ち寄られ、尊いお像と、これにまつわる霊験奇瑞に感泣し、兼乗と力をあわせ、ここに、大治3年(1128)一寺を建立しました。そして、兼乗の姓・平間をもって平間寺(へいけんじ)と号し、御本尊を厄除弘法大師と称し奉りました。これが、今日の大本山川崎大師平間寺のおこりであります。

http://www.kawasakidaishi.com/about/history.html

 ここ数日のカーネル・サンダース騒動を見ていて、何やら俺は川崎大師の上のエピソードが思い浮かんでしかたなかった。
 水の中からありがたい仏像が出てきた。あるいはこれは、一つの類型なのかもしれない。俺は文化人類学だの、民俗学だの、宗教学に明るくはないが、ひょっとしたら、世界のいろいろな民族や宗教の中に、同じようなものがあるかもしれない。どうも、道頓堀川から出てきたカーネル・サンダース、そしてそのカーネル・サンダースに湧く人々を見ていると、そんな気がするのだ。
 なんか網を掛けたら像がひっかかった……。なんかすごいテンション上がると思う。「うわ」って思う。で、「見て、マジすげーから」ってなって、村の人とか集まってきて、「うわ、マジ? すげー? 仏像半端ねぇな。なんかありがたいんじゃねえの?」みたいなことになる。それで、なんというか、そのテンションで、人間の気持ちが集まって、なんか形になる……、夢のエピソードとかもくっついてくる。
 いや、水から引き上げたこと自体がエピソードでは? そうかもしれない。でも、やっぱりどっかに、何か「うわ」ってなる、「カーネル出てきた!」みてえな、そういう発端やきっかけ、話の元になる話、そんなものはあるはずだ。俺はそう思う。どっかしら、本当に「うわ」ってなった奴がいて、その体験があって、それが共有されて、そういうものになっていく。おれは文化人類学だの、民俗学だの、宗教学だのについてまったく知識がないが、どっかしらそういうものが、人々の信心とか共通の理念とか、あるいは文化というものの底にあるんじゃねえかと思う。頭で考えた世界観やストーリー以前に、「うわ」の体験がある、と。奇瑞や奇跡、そのいろいろなものも、精神病理的なものであるとか、いんちき・ペテンであるとか、そういう要素が多分に絡んでいるとは思うが、どっかしら、最初の最初、「うわ」っていう何かがあったと、そう思う。
 たとえば、海の向こうのシカゴ・カブスには、「ヤギの呪い」というのがあった。これも、誰かが、「あれ、カブス負けてるの、あのヤギのせいじゃねえの?」って、そういう「うわ」ってのがあって、「なんだってー!」になっていったりして、テンションがあがって、みてえな。それでその、最初に誰かが「ヤギ」と「カブスの敗北」を結びつけたときの、そのぞわっとするような感じ、その感じが、馬鹿にできないんだ。俺はそう思う。決して科学的でも、客観的でも、正しい因果関係でもないんだ。でも、そこを結びつける人間の魂の働きがある。その働きは、決して科学的でも、客観的でもないかもしれないが、太古の人間が世界をそのように見て取った、その働きと同じであって、あるいは今この瞬間もそのようなわけのわからぬ何かにとらわれているかもしれないのだ(追記:こないだ爆笑問題の太田が星を見て星座を作った太古の人間の良き「ばか」さについて熱く語ってたっけ)。
 そして、そのわけのわからないものは、ときにわれわれの中で誤った行いをする、まさしく呪いのようになるだろうし、それによっていろいろの悲劇が引き起こされてきたかもしれない。しかし同時に、ひとびとが共感できる、テンションの上がる、その中に、人間同士の一種の連帯のようなものも含まれているかもしれぬ。その点のわれわれひとりひとりの心の働きに、理知をもとにした分別の光をあてながらも、同時に、そのテンションと共感というものの美点のようなものを我がものとして、すなわち、ともに踊るような心持ちになることも必要ではないかと、そのように考える。
 ただし、俺は今回はあまり踊らぬ。なにせにっくき阪神タイガースの話だからだ。俺は異邦・横浜に住む広島ファン。……さて、俺の中のこの心情は、理知によるものか、もっと太古よりのものかどうか。

追記:

http://guideline.livedoor.biz/archives/51176499.html

 たとえばこれだって、時代が時代だったら、あたらしい宗派できてるかもしらんぜ……!