この娑婆より外へ

 俺は、坊主になりたいわけでもなければ、仏教徒になりたいわけでもないけれども、一日中なんか仏教本だけ読んでればいいとか、そういうのはすごくいいと思う。あとは、あまり自分で自由になにかしろということはなく、規則に乗って動く中で、内心の自由が確保されるのもありだと思う。
 縛られているほど自由ってことはあると思う。たとえば、車でもバイクでも自転車でもいいけれども、自由に道路を走りたいとする。自由を求めて、信号機や各種標識なんかをぜんぶ無視するとする。すごい自由だ。だが、それはぜんぜん自由じゃない。赤信号を無視するとき、あっちから、こっちから車が来ないか、いちいち判断せにゃならん(走るのが目的だから、ぶつかって終わりってのはダメ)。すごい頭をつかって、見て、聞いて、注意して、判断して、決断して、いちいちさ。
 そんなのすげえ不自由じゃん。もう、不自由すぎる。それだったら、信号機とか法律とかに従って、ある部分判断を委ねて、それでドライブを楽しむ方が自由だ。もちろん、オート運転のようにはいかんし、臨機応変の対応は必要だけれども、まったく信号を無視したりするより、ずっと楽で自由だ。
 そういう意味で、俺は刑務所に恋い焦がれるところがある。何度も書いてきた。でも、こんな具合だ。

滋賀刑務所(大津市)は5日、同じ部屋の男性受刑者に大量の水を飲ませるなどの集団暴行を繰り返したとして、20〜30代の受刑者の男4人を傷害の疑いで大津地検書類送検したと発表した。

http://www.asahi.com/national/update/0305/OSK200903050091.html

横浜刑務所(横浜市港南区)の30代の男性刑務官が、受刑者を刑務所敷地内のごみ置き場に閉じこめたり、「デブ」と呼んだりして、06年10月に厳重注意処分を受けていたことが18日、わかった

http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20081118#p1/title

苦労したと思うことを複数回答で尋ねたところ、「受刑者同士の人間関係」を80%の人が選択。「自由がない、好きなことができない」(34%)、「釈放後の生活設計」(21%)と続いた。
asahi.com」 2007年12月27日

刑務所の苦労「人間関係」8割 「自由がない」は3割--人民網日文版--2007.12.27

 そうさ、こんな具合さ。まあ何度も書いてきたとおり、俺の刑務所に対する望みなんてのは、無い物ねだりというか、なんというか、すごく美化した、ありもしないものを望んでいるというか、俺、やわらかいべちょべちょのご飯とか苦手だし、トイレとかきれいなのがいいし、体育会系苦手なんだろ? みてえな。
 あー、まあ、別に、寺でもいい。寺でもいいけれども、まあでも、こないだ読んだ本に、こんなことが書いてあった。

 しかしよほどの事情がないかぎり、私は誰にも出家を勧めたくありません。現代において仏門に入ったところで、失望するのがオチだからです。寺院組織に踏み込んでみれば、そこに俗世間よりも俗なるものを見出して、絶望感に打ちひしがれるか、さもなくば、その世界に泥んで自分もまた権勢を張ろうとするかのどちらかになる、という恐れがあります。
『前衛仏教論』(町田宗鳳)

 もうさ、やっぱりそうなんだろうなって。まあ、わかってんだよ、もう、人間がいるところそうなんだって。だから俺は、少年人形か少女人形と暮らしたいんだってさ。美しい死体でもいい。つーか、一人でもいい。まったく。
 いや、いやね、そんな、決めつけてもいけない。それは言っておこう。たぶん、真面目な、これぞ修行、みてえな、そういうところもあると思う。だけれども、やはりインサイダーであるこの著者や、あるいは秋月龍みんさんなどが、まあ苦言を呈するということは、そこのところに、実際にそういうもんがあるんじゃねえのか、あってもおかしくねえんじゃねえのかと、そう判断してみても、あながち無理筋ではねえだろうと、そういうところ。
 ああ、でも、こんなん言ってたら、あれだ、臨済にどやされるんだよ、「外に求めるな!」って。ボカーンって殴られる。ああ、これ、ここも、極楽浄土も、地獄も、みな一緒なのですか。そうですか、よいよい。それじゃあ、おつかれさん。

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