公園はだれのものか?

 「公園はだれのものか?」と父親が謎かけをしてきたことがあった。小学生のころだったと思う。「みんなのものか? それとも、だれのものでもないのか?」。

 どう思うかね、おじいさん。僕にはよくわからなかった。今でもよくわからない。父親も答えを知らないようだった。ただ、それが民主主義だとか、社会の構造だとか、公共とはなにかということだとか、そんなことに関わる問題なのだと、そう示唆していた。

 ただ、こうして公園を歩いていると、わかることがある。まちがいなく、このとき、この場所は、僕のものだと。公園は僕のものだ。僕が、ここの領主であると。主であると。そして俺は、心のひろい領主様だから、まあ、君らにも立ち入らせてやろう。犬の散歩をしてもいいし、朝から太陽に向かってよくわからない儀式をくりかえしたりしたっていいさ。

 ああ、僕の園。花は咲き、花は散り、虫は飛び、虫は死ぬ。花の亡骸、虫の死骸、きちんと片づけておくように。お客さんには、染井吉野の葉桜になったものと、山桜の見分け方をお教えしておくように。

 それから、芝生のことだがね、黒と黄色の工事用ロープに、パウチッコの注意書きで立ち入り禁止を示唆するのはいかがなものだろうか。なにかよい景観資材をさがしたまえ。予算がない? そんなことは重々承知だよ。君に言われなくてもよく知っているとも……。

 思うに、僕に向いている職業というのは、貴族ではないのかね。この日記をご覧になればよくわかる。僕は芸術を愛し、音楽を好み、競馬をたしなむ。労働というものに対して大きな忌避感があって、できることなら遊んで暮らしたいと思っている。文学の中をとびまわり、花と緑とたわむれていたい。形而下のことは召使いどもにまかせておけ、と言いたい。そうだ、僕は貴族に就職したい。ハローワークに行ったら、まずそう申告してみようと思う。

 「貴族になりたいんですが。革命がおこったら、まっさきに吊されるようなのでいいんで」
 ところで、山下の庭の方だけれども、あの隅っこで造っているものはなんなのかね。最新型の多脚砲台かね。そうか、開国博Y150でお披露目される、例のラ・マシンか。こいつが暴走して、関内の街並みをむちゃくちゃにするんだろう。そこに加賀町署のライドバック部隊が立ち向かうという筋書きかね。それとも、伊勢佐木署からパトレイバーでも出てくるのかね。とても楽しそうじゃないか。ああ、とても楽しみだとも。